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最近ろくなことがない。
ここまでろくなことがないと日々は日増しに嫌気が差し、出歩くのも億劫になって、与えられた部屋から出なくなって結構経つ。
同じようにしてこの家にスヴィーたちもいるらしいが、顔は見てない。
見る顔と言えば何だかんだで一日一度様子を見に来る見慣れた阿呆面くらい。
忙しいなら放っておいてくれればいい。
そう思いはするものの、伸ばされるんじゃなくて伸ばす自分の手とか、しがみつく時に爪の間に入る皮膚とか。
本当、何もかもが嫌になる。

Onske



「…ノル。痛くねぇけ?」

耳の奥に響く低声も嫌いだし、何かしら返事するまで留めてられるのも苛々する。
嫌いとか、うるさいとか、そんな単語をぽつぽつ頭の中でぼんやり考えているうちに口が勝手に開いて応えたりすが、大概は立てている爪を深く刺して髪をすり寄せる程度で肯定を示していた。
通例に従って、取り敢えず俺の上に四つん這いになっている馬鹿の首に回していた両腕を、少しだけ強く抱き締め、首筋に髪を寄せた。
…そもそも目的外の器官を使ってやる以上、痛くない訳がない。
が、ちょっと顔を顰める度に落ちてくるキスとか、髪を撫でる手とか、正直しつこい。
下手に痛がるとその手の言動があるので、我慢できる限り平然を装って深くゆっくり息を吐いた。
こっちの呼吸に合わせて少しずつ進み、じわじわと嬲られる感覚にぼんやりする。
相手の肩越しに見える天井が、何となくいつもよりも遠く感じた。

「…」
「おいコラ。ノル」

呆けていた俺に気付き、阿呆が軽く額で俺を小突いた。
我に返って首にしがみついていた両腕を緩め、繋がった場所を変に角度変えして声を上げないよう気を付けながら、軽く浮いていた背中をシーツに着けて横たわる。
内臓を圧迫されるような腹の重さを霧散させるため、またゆっくり息を吐いてから目を伏せた。
視界がなくなって、上から伸びる指先が横髪を梳くのを感じる。

「飛ぶにはまだ早ぇだろ~。…辛くねぇけ?」
「…。…ん」

髪を梳いていたその手の甲に、何気なく片手を添えて俺の髪から引きはがした。
シーツの上にぱたりと投げ捨てた所で、手持ちぶさたに負けてそのまま指を絡める。
空いていたもう片手で背中に爪を立てた。
何の香水使ってるのか知らないが、発汗すると妙にいい香りがして朦朧を招き、絡めた手を引き寄せ擦り寄った。
…一度二度の関係じゃない。
別に今更羞恥とかないし、相手してやってるという心持ちは変わりない。
それでも、それまでと決定的に違うのは立場だった。
広い部屋。
高い家具。
定時に出される温かい食事に衣類に装飾。
確かに傍目庇護に近いかもしれないが、誰かこの阿呆にそれは軟禁というんだと教えてやって欲しい。
あり得ないが、仮に例え真摯に双方向で愛し合っていたとしたって、財力とか権力が大幅に偏れば、それは一方的な庇護と孤独な罪悪感しか生み出さない。
…何も返せない片方は哀しくなって、結局いじけるくらいしかできない幼稚さが醜く、そんな醜い自分を綺麗綺麗と讃する連呼が嘘っぽくて、いつの間にか大嫌いになっていたとしても、それは通常だ。
顎に指の背を添えられ、察して、上げられる前に自分から顎を持ち上げキスをする。
繰り返し重ね、深くなって、飽きた頃顔を離し、さっきのお返しに軽く額で肩を小突く。
苦笑を交えながら肩に腕が回った。

「留守中なんも不便なことなかったけ?」
「別に何も…」
「そっけ。そんならえがった」
「…。…はよ動かんね」

吐き捨てると瞼にキスが落ちてから片腿を掴まれ、繋がっていた身を浅く引かれた。
腸を逆撫でするその感覚に嫌が応でも感覚は高ぶり、吐息を溢す。
引いた腰で再び深くゆっくり突かれ、背中に爪を立てる。
繰り返さされる愛撫にしがみついて、目を伏せた。
少しの時間耐えていたが、喉を上がる熱い呼吸の合間合間、次第に頭の中がぼんやりとしてきて、色々と考え出す。
…日々を生きていく上での生活の保証を得ると同時に、幼馴染みは上司になった。
対等なんてあり得ないと周りは言い、対等なんてあり得ないと目の前の馬鹿は公言した。
綺麗事は嫌いだ。
俺自信そう思う。
実際、今こいつの家から出て行ったら生活できない。
できないけど、俺たちを包む肩書きが無性に哀しい。
近くて遠い。
望む立ち位置じゃない。
だって昔はあんなに隣に並んで笑えてた。
部下とか、上司とか。
強いとか弱いとか…意味が分からない。
時代に反対する訳じゃない。
けどもっと…ゆっくり、俺たちのペースで生きたかった。

「…ノル?」
「…」

親指の腹で拭われて、漸く涙を自覚した。
と言っても、大した量じゃないから生理的なものだと言って十分通じるだろう。
…などと冷静に考えられる程感情的になってなかった訳でなく、呆けた頭で殆ど無意識に顎を上げ、丁抹へキスを強請った。
…そんな浅い付き合いじゃない。
傍目気付かなくても、望む立ち位置でなく不本意なのが俺ばかりじゃないことは、見ていれば分かる。
身を縮めて首筋に擦り寄り、立てて傷の多い背の皮膚を剔っていた爪を浮かせ、10本の指の腹で両肩を抱く。

「なーに、どしたい?」
「…」

子供でも相手するみたいに片手で撫でながら、苦笑気味に笑う。
その余裕が悔しくて、独りだけ焦ってる自分がひどく無様に感じた。

「…。並べんで、悪ぃ…」
「あ?」
「隣…」
「…」
「……嫌わんでな…」

目を伏せたまま口の中でぽつりと呟いてみる。
絶対聞こえなかっただろうと思ったが、間を置いて、すり寄せていた額に額が重なった。
美しい湖面のようなターコイズブルーの瞳が近距離で俺を険しく見据える。

「…馬鹿にすんなよ」
「…」

低く言い放ってから指先で俺の額に張り付いていた邪魔な前髪を梳き払い、唇を重ねられ、与えられるキスを深く静かに受け取った。
その一言だけ残して後は黙して抱き合い、言葉に上手くできない分多少伝わればと思って何度も両手を頬に伸ばしてキスを強請り続け、律儀な返しを受けては安堵した。
だがそんなのは一時的なものだ。
いくら連夜甘えて強請って傍に感じたところで、朝日が昇れば安堵なんて消えて無くなる。
…今はまだいい。
俺を振り返る余裕があるらしい。
けど、このままどこまでも力を付けて、いずれ俺なんか振り返らなくなるかもしれん。
南には多くの豊かな国々が並んでる。
個性も強いがその分魅力もある。
…だから密かに日々祈っている。
最低だと罵ってくれても構わない。
欧羅巴に名を響かせるその前に…。
どこかで片足引っかけて転けて潰れて朽ちてしまえ。
そしたら調子に乗っているからだと、指差して嗤ってやれるのに。
あんまり強く大きくならずに、ゆっくり流れる時間の中で、俺にちょっかいかけてきてその都度喧嘩して跳ね返すくらいの、そんな少し前の関係でいい。

…「どこか遠くに行かないで」。
そう願いながら、唇を噛んで嬌声に耐えて抱き締めた。


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