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壊す気なんてカケラもなかった。
最初はただ俺のことを見てくれるまで待ってようと思ってたが、薔薇をやっても菓子を置いても、本を置いても宝石を置いても視線一つ動かさず、ベッドから離れた場所にあるソファに腰掛けたまま窓のない部屋でじっと真正面の壁だけを睨み続けてたから、それがあまりにも長くて流石に苛々していた。
その日は仕事が長引いて、いつもとは随分違う明け方の時間帯に鍵を外した。
寝ているだろうと思ったがやっぱり日本はそこにいて、ずーっと無表情だったはずの顔を両手で覆って俯いていた。
肩も震わせてないし声も出してなかったから、傍に寄るまで泣いているとは思わなかった。

「…日本」

正面に回って片膝を付き、肘置きに片手を添えて下から小声で尋ねる。

「そんなに嫌か…?」
「…」

嫌だ、と答えたらどう自分が返したのか今となっては分からないが、その時の完全な無反応が当時の俺には大部分のYesの他に、ほんのちょっとのNoも含まれているように思えた。
少しでも慰めようと片膝着いたまま背を伸ばし、小さな肩に手を置いて顔を覆っている額へキスした瞬間、凄まじい速度で片腕を振るい、日本が俺の手を払った。
パァン…!という音に遅れて、日本の袖が揺れる。
久し振りに見た表情らしい表情は涙でぐしゃぐしゃに濡れていて、頬とかは真っ赤になっていた。
目が合ってすぐ日本が立ち上がり、俺と距離を空けようとでもしたのか一歩歩き出す。
離れていこうとするその手首を取って、ソファに叩き落とした。
体格が勝ってるんで両足間に膝を置き、動きを封じて唇にキスした所までは良かったが、襟に手をかけた途端、日本が目つきを変えて俺の顎を押し上げた。

「…っ!?」

喉を鷲掴みにされ、上げた右手がひゅ…ッと風音を纏って首に落とされそうになり、舌打ちして仕方なしにその身を突き飛ばしソファから飛び退いた。
堪らなく愛しいはずなのに、短い戦闘に少し息を乱しながらもしっかり襟を片手で押さえて睨んでくる飼い猫の目が、その時は頭に血が上るくらい憎かった。
乱れた前髪を片手で掻き上げ、ソファを一度全力で蹴り付けてから振り返りもせずドアへ向かった。
が、向かったけど鍵を厳重に閉めてる間も廊下を歩いてる間も悔しくて悔しくて…。
どうにかなりそうだった。
後々銃を持っていなかったことに感謝したくらいだ。
あったら殺していたかもしれない。

「…っ、クソ…ッ!」

自室への帰り際廊下に飾ってあった甲冑をぶん殴り、酷い音が屋敷に響いたが片付けることもせずそのまま階段を上がった。
悔し過ぎて泣きそうだった。
何で伝わらないのか本気で分からない。
俺の方が絶対日本のこと好きだし、何だって与えてやれる。
それなのにあいつ、いつまでもいつまでもいつまでも……!






「希臘さん…」

ぽつりと日本が呟いたその一言を聞いて以降の、その日の記憶は消えている。

気付いたら日本がベッドに横たわって気を失っていて、それを組み敷いていた自分がいた。
暫く頭が真っ白で、けど数分も経たないうちに現状の認識よりも目の前で伏している日本の優美さに気付き、どうでもよくなってくる。
喉の痣は見ない振りして、身体中に残ってるキスマークを俺がやったのかと思うと、内緒だが、ちょっと泣きそうにすらなった。
そんな感じでぼーっとしてたから、傍に見覚えのない空瓶が転がっているのに気付いたのは結構時間が経ってからだった。

  __あのね、アーサー。悪いと思ったんだけどね…。
  __もうみんな見てられないよねって。
     でもほら、惚れ薬じゃないよ! それは嫌だって言ってたから…。

自室に戻った所で、おずおずと出てくる小さな友達のずっと後ろ。
部屋の端にある窓辺で、「ちょっと忘れっぽくなるだけよ」と魔女が笑った。

Correct Love



日本と抱き合って初めてその辺でよく聞く“貪るようなキス”ってやつを実感した。
一度交わせばすぐに二度目が欲しくなり、繰り返してるうちに唇が相手から離れてる方が違和感を持つようになる。
舌を噛み千切りたくなるし皮膚の苦みは甘くて癖になった。
首筋とか肩が特に好きだ。
そのまま内蔵を吸い上げるつもりで舌を引っ張り、口内を犯して酸欠にして、苦しそうに呼吸する顔がどう表現していいか分からない程愛しい。
思考力を落とす為に酸素を取り上げ、弱った躯をシーツの上に落として立ち上がろうとする前に肩を押さえつけベッドに組み敷いた。
それでも足掻こうと掌をベッドに付いたものだから、キスだけで濡れ出したその根本を強めに掴んでやると腕に支えが利かなくなったらしくて糸が切れた人形みたいにベッドに落ちた。
身体を押さえながら仰向けに返し、唇を合わせて胸に吸い付く。
頑なに閉じていた唇も、緩みだしてた着物の間から根本を握っていた手を緩め、優しく先端を撫でると自然と開いた。
会話してくれない以上仕方ない。
少しでも声を聞きたくて手を早めた。

「は…、ぁ…っ」

躯のつくりはいい加減覚えた。
好きな場所ももう分かる。
どこをどうして触ればさっきみたいに力を奪えるかも分かってるから簡単なはずなのに、いくら抱いた所で一向に愉しくなんかないし悦くもなかった。
こんなのセックスな訳がない。
好きな相手を好きなだけ抱いて哀しくなるなんてどうすりゃいいんだ。
基本的に他人の泣き顔は嫌いじゃない。
今まで好きになった奴はここまですればそれで良かったはずなのに、日本だけは同じ状況に置いても全然心が晴れなかった。

「っ、…」
「泣くな…!」

優しくしたいのに短く声を張って叱りつけ、もう何度目かになるが両手で顔を覆いかけた日本の手首を取って顔を晒し、顎を取って持ち上げて背を浮かせた。
涙を溜める夜色の瞳は好きだ。
星空が入ってる気になる。
だが、同じ泣き顔でもこんな眉を寄せた顔が見たいんじゃないんだ…。
払おうとした片手を取って無理矢理指を絡め、ベッドへ押しつけた。
近距離で交わす瞳が互いに悲壮を映してて吐きそうになる。
それでも感情が勝手に怒鳴った。

「いい加減にしろ!俺を愛せ!! 俺なら何でもお前に…」
「はっ…なしてく だ…っ」
「何が気に入らない!!」

顎を取っていた手を振るい、キスせずに浮いていた背を投げ落とす。
少し強くなった。
日本が顔を顰めたのを見て、はっと我に返る。
進めてていた行為よりも怒鳴ったせいで息が切れて、いったん落ち着こうと前髪を掻き上げ、乱れた呼吸を整えた。
…いつもこうだ。
嫌になる。
深呼吸して、でも上から退くことはせずに改めて目の前を見た。
天蓋付きの広いベッド。
日本の家に少しでも近い方がいいだろうと思って、レースの変わりに四方に竹で出来たブラインドが付いてて、まるでベッドを一つの部屋のように覆っていた。
実際声も素通りだしそんなはず無いのに、閉鎖されたこの部屋の中、更に密閉された空間のようで俺は気に入ってる。
が、そのベッドの主は死ぬ程嫌っているようで寝る時も離れたソファで横になり、俺が片腕掴んでくぐらないことには絶対に近づこうとしなかった。
組み敷いた日本は顔を背け、俺が絡み取った手とは反対の手で目元を緩く隠して肩を震わせていた。
…ここの所泣き顔しか見てない。
笑顔はどんなんだったっけ。
最初無表情しか見たことなくて、すごく柔らかく笑うやつだなと親しくなり始めた頃に強く思って、ちっちゃい頃の米国以外で初めて釣られ笑いをした。

「…悪い。日本。……ごめん」

反らされた首筋にそっと掌を添える。
キスマークの残る薄褐色の肌を見下ろし、肩や手首にある青痣に後悔しまくる。
絡め取っていた片手も離してやると、即座に両手で顔を覆って躯ごと横を向く。
完全否定は何度やられても慣れない。
首を撫でていた手を日本の顔の傍に置き、耳へそっとキスをした。
怖がってるのを少しでも宥めようと、そっと指先で枕に流れてる髪を梳く。

「なあ、日本…。何で俺じゃダメなんだ…?」
「…です、から…」

咳き込みながら泣きながら、細い声が空に放られる。

「私 は…。好 きな方が……あって…」

時々裏返る震えた声。
背を丸めて顔を覆い、子供みたいに嘆く姿に剣を突き刺す。

「だから…。誰なんだ、それは」
「そ…」
「名前、覚えてないんだろ? …どういう奴だ?姿形は? どんな奴で、何が好きで、お前のことを何て呼んでた?」
「…っ」

啜り泣きを続けてた喉がひくりと震えて、更に背が丸くなる。
…内心謝罪しながら、鼻で笑う。

「薄情な奴だな」
「ち、違います…!」

覆っていた両手を離し、日本が泣き顔を晒してばっと顔を上げた。
泣き腫らした顔でも綺麗だと思えるのだから、やっぱり俺はこいつが好きなんだ。
変な所で愛を感じてる俺に、日本が必死になって声を上げる。

「解ってるんです!思い出せないだけで…!」
「忘れたと覚えてないじゃ程度が違うぞ」
「覚えてます!」
「言ってみろよ。何一つ覚えてないくせに。…所詮その程度だったってことだろ」
「違います!!違う!違う…!」

首を強く横に振るように顔を背けそっぽを向くと、また両手で顔を覆う。

「違うんです…っ。違う……こんな…。英国さんがこんなことをなさるから、だ、から…それで」
「俺の名前は覚えてる」

上から片腕で頭を包み込み、額にキスする。
色の付いた肩は触れるとひんやり冷たかった。
そのままスライドさせて胸、腹と下っていき、腿に触れた所で日本が足を閉じようとしたが、許さなかった。

「…ッ!」

口に咥えると日本が半身を起こし俺を押し退けようと片手を伸ばしたが、俺の髪に指先が届いたタイミングを狙って先端を喉の奥で吸ってやるとまた簡単に力が抜ける。
指を引っかけた俺の頭を抱くように背を丸めていた日本に見せつけるように、口を離す瞬間、中で溢れた粘液で糸を引いてやった。
一瞬確かに頬を引きつらせた日本と目が合う。
現実を拒否するみたいにばっと両手で頭を抱えて耳を塞ぎ、顔をくしゃくしゃにして唇噛んで、本格的に泣き出す。
…子供みたいで可愛いなんてこのタイミングで口にしたら、大泣きするかな。
ちょっとやってみたくもあったが、止めておいた。

「…っ、ひ…っ。…ぅ…」
「…。諦めろよ。何回俺と寝てると思ってるんだ」

もう一押しだな…と、手慣れた感覚が確かに何処かにあった。
普通にしてても…。
そうだ、日常生活でもだ。
本当に普通にしてても、無意識に相手の急所を探して実際見えてしまうのは…ちょっと、俺の悪癖かもしれない。

「大体、普通に考えて…。思い出したとしても、帰ったとしても」

日本の胸にある一際目立つキスマークを指で軽く突く。

「もうお前なんか好きになれないだろ」

言い放った瞬間。
すとん、と。
どこからか音がするくらい、日本の中にその言葉が落ちていったのが分かった。

段々静かになったから、その日は初めて優しく抱けた。







で。
その次の日から日本は3日間ぶっ通しで眠り続けた。
何か病気なんじゃないかと思ったが、4日目にふと目を覚ました。
ほっと安心したのも束の間で、その日から3日間、日本には俺の姿が見えなくなったらしい。
冗談とかじゃなくて、目の前に立って声をかけても全く反応がなかった。
当然最初は無視かと思ってたんでかっと来て襟を掴んだりもしたが、その時の反応があまりにも素でこっちが驚いたくらいだ。
かなり戸惑った。
俺の保護下で誰かの進入を許したなんて思いたくないが、魔法か何かかけられたんだと思って実際外でフランスに一発入れてきた。
まあそれは間違いだった訳だが…。
その時はまだ日本がオカシクなったなんて気付けなかったし気付かなかった。
絶対誰かのせいだと思ってた。

そして次の日。
きっかり一週間。








「希臘さん」

鍵を外して入った瞬間、穏やかな声がした。
ずっと聞いてなかったからか、それが従来の日本の声であることを思い出すまで酷く違和感が残ってた訳だが、それよりも第一声としてその単語が日本の口から出てきたことに心臓が跳ね上がった。
…思い出したのか?
まさか。
あり得ない。
どうする?
どうしようか。
手錠はどこに置いたっけ。
…なんて、一連の不安に恐怖したのは短い間だった。
思考が白く染まり、無意識に一歩後退して、次の瞬間弾かれたように今出てきたドアを片手で勢いよく開け放った。
魔女の元へ駆け出そうとした途端。

「あ…あの。またどちらかへお出でになるのですか…?」
「…へ?」

違和感に気付いて肩越しに室内を振り返ると、恐る恐るといった様子で距離のある日本が片手を低く持ち上げかけて、明らかに俺に向けて言葉を発していた。
…見たことのない顔をしていた。
目は濁ってなかったし、笑顔も今まで見た中で一番綺麗だった。

「その…。宜しければ、お茶でも…」
「……」

その時の自分の馬鹿さには本気で呆れる。
…けど、ゆっくり傍に寄っても逃げなかったから。
手を握っても払わなかったし、顔を近づけると目を静かに閉じて待ってくれたから。
キスしても噛まれなかったし顔を背けなかった上に、両腕で抱き締めると真っ赤になって俯いたから…。
もう夢の中にいるみたいだった。

「っ…。…ん」
「…辛いか?」

聞きながら左肩に添えられてる頭の髪を撫でて、耳へキスする。
力任せに押し倒さないのは初めてで、膝の上に乗せても冗談みたいに軽くて驚いた。
向かい合って、ちょっと力入れたら簡単にポキッといきそうな細い腕で俺の首を抱いてくれて、温かくて…時々首の後ろと背中に爪が立つ。
他の奴ならぶん殴るけど、日本ならいい。
全然問題なんてない。

「い、え…。…大丈夫…です」
「…!」

熱い呼吸。
呆けた赤い顔でゆっくり瞬きしてそのまま目を瞑り、日本がぎゅっと強く俺の首を抱いた。
死ぬ程びっくりして、日本の後ろ越しに添えていた両手が震えた。

「…お気に…なさらず……。…どうぞ」
「…」
「お好きに…」

耳元に低声が響き、奥の奥に反響して落ちていく。
…数秒経ってから、硬直してた指先が漸くぴくりと動いた。
力任せに抱き締めると背が反り、角度が変わって日本が短い嬌声を上げたけど、そんなのすぐに珍しものじゃなくなる。
体重が手伝って最初にしてはいつもより深めに挿ってたが、片腕で抱いた肩をぐ…っと押し下げると、もっと深く挿った。
また後ろ腰に手を添えて揺らしてやると、やってるのは俺なのに助けを求めるみたいにしがみついてる腕を強くする。
それが嬉しくてもっと揺らす。
笑えるくらい簡単に果てた。
…が、そこでハイ終わり、なんてできる訳がない。
ぐちゃぐちゃに抱き合っていけるだけいって疲れ果て、泥のように眠る直前、す…っと布団の中で右手の人差し指を緩く握られる。

「……不埒と思わないでくださいね」

隣で日本が泣き腫らした赤い顔で、困ったような嬉しそうな、そんな表情で微笑んだ。
…そんなこと思う訳ないだろ、と。
当然自分に向けられてるものだと思って、釣られて笑いかけた所で。

「お慕い申し上げております…。希臘さん」
「…」
「お休みなさい…」

夢は一気に壊れた…けど。
その後そっと身を寄せられて…。
次に来る額へのキス欲しさに、キレることもできなかった。
…。




日本は壊れた。
…なんて表現は使いたくないが、それから数日様子を見てもやっぱり俺のことを希臘だと思ってるらしかった。
最初は胸に痛かったけど…。
俺が部屋に行くとすごく喜ぶんだ。
のんびりお茶を飲んだり、話したり…。
がっつかなくなったから、時間はゆっくり流れ出した。
キスしてくれって頼むと誰もいないのにきょろきょろしてから背伸びしてそっとしてくれる。
時々抱くと真っ赤になって縮こまって、突然無口になって…けど、最後はとても嬉しそうに笑う。
覚めなくていいと思ってるが、きっといつか覚めるんだろう。
リミット付きの現代魔法だ。
お姫様を叱りつけて魔法から解いてもいいが、俺は俺だと認識させたらまた嫌われるかもしれない。
相手が魔法にかかってるんなら、こっちだってかかってていいと思わないか?
その方がフェアだろ。
…だから魔女に頼んだんだよ。





「こんにちは、“英国さん”」

魔法にかかった耳はいい調子で狂ってくれている。
微笑みかけてくれる日本に背を屈めてキスをして、持ってきた薔薇を差し出した。

俺はこの小さくて弱い恋人を、心の底から愛してる。











それは間違っていると言う奴がいたら前に出ろ。
一人ずつ消していけば、いずれ誰もいなくなって、これは“正しい”ことになる。


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