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はち切れんばかりの歓声。
短銃と大砲、サーベルが打ち合う音にもええ加減に慣れてきた。
大海原はこんなにも広いってのに、敢えて航路をぶつけてくるんもガキ臭くて、嫌がらせと言うよりはどっちかっつーとじゃれついてくる犬っころに思えた。
南の船とどんぱちやって帰る帰り道。
波の少ない海路の横から予想していた砲撃をどかんと喰らい、船員が一気にいきり立つ。
……何つーか、アレだ。
喧嘩というよりも襲撃というよりも、遊びの域に等しい。

「武器だ武器!武器持ってけぇ!!」
「んなろ、今日ぁ負けねがんなあ!鼻っぱしらへし折ったらあっ!!」
「…」

今回の出航の利潤を計算してた訳だが、鼻息荒く船内にいた船員たちがどたばたと武器を手に外へ繰り出していった。
無人となった船長室で、小さくため息を吐き、一発目の砲撃の振動で床に落ちたペンを拾い上げた。
ぱっぱと埃を片手で払い、ペン差しに置き、利潤の計算は後々だなと羊皮紙を丸めたところで…。

『ノールウェ――イッ!!』

「…」

耳が痛くなる程の腹からの大声と、後押しするような拍手喝采や口笛に、両肩を落としてため息を吐いた。
……壁にかけてあったサーベルを手に取り、袖を捲りながら部屋を出た。

 

甲板に出ると、既に奴の船と俺の船は連結されていた。
俺んとこも結構ええサイズの船使ってっけど、横から突っ込んできた阿呆の船の大きさには微妙に負ける。
あちこちでは既に微妙に本気じゃねえ乱闘が始まっており、わいのわいのとお祭りん時みてえな盛り上がりを見せていた……が。
甲板の先の方ではどちらの船員も喧噪の手を止めており、向こうさんの船員は船縁に仁王立ちして叫いているド阿呆に向けて手を打ったり帽子を回したりして声援を送っていた。

「出てけーえ!!宝を掛けて一騎打ちすっぺやー!!」

豪華な船長帽に裾の長い上着。
煌びやかな装飾の類は金で出来ているが故に重そうでもあった。
サーベル持ってねえ左の手で握り拳つくり、大声で叫く幼馴染みは、ここんとこうざったくて嫌んなる。
…毎回毎回、ほんっによく飽きねえな。

「おめが勝ったら今回の宝奪取は諦める!んだけど、俺が勝ったら…、」

そこで、既に無人である俺の船の船長室の方を指差し、高々に叫んだ。

「おめえは俺んだあーッ!!」
「いいぞー!丁さーん!!」
「やっちめえ!」
「妖精野郎なんざ力尽くで奪い上げちまえー!」
「やがまし!!んな遠回しなことしてねえで直に告ってこいや、ペッパー野郎!」
「んだんだ!」
「おめらんとこの頭ぁ何万回振られる気なん!うちのノルさんがどんだけ迷惑してると思ってんだ!!」
「うっせえ!丁さんぁそんだけ一途なんだっぺな!」
「ストーカーっつんだ、ド阿呆!!」
「んだとぉ!? おめらがとっとと俺らの配下になんねえからだっぺ!? 一緒に南の連中ボコろーっつってんのによお!」
「…」

ぎゃあぎゃあ互いに叫き合いを続ける部下の船員たちの喧噪を聞きながら、サーベル片手にしたまま腰から短銃を抜き、たらたらと弾を詰める。
カチリと音を立てて装填してから右手に持ち替え、少し深めだった船長帽を銃口で少し持ち上げてから、真っ直ぐ腕を伸ばした。
…片目を瞑り、部下どもより一段上に仁王立ちしている阿呆のこめかみ狙って標準を合わせ、引き金を引く瞬間――。

「…」
「…!!」

残念なことに、今回も先に目が合った。
遅れて、パンッ!と発砲音を立ててはみるが、毎度お馴染みの品性の欠片もねえぶっとい大剣で、カキン…ッ!と弾の軌道を反らされる。
ざわりと船員どもが揺れ、あれだけ騒いでいた連中が途端に場が静寂になる。
一斉に振り返った連中の視線が俺の方移ったが、気にせず舌打ちして、硝煙を立てている銃口を口の前で軽く吹く。

「…うっせえな。もちっと静かに鳴けねぇんけ。…やがましくっててんで眠れねーべ」
「ノル…!」

弾を弾いた大剣を下ろし、丁抹がぱあっとうざってえくらい顔を綻ばせた。
…うぜえな。っとに。
花飾りの着いた帽子と弾の失せた短銃を近くの部下に預け、上着を脱ぎながら前へ進む。
コツコツと木造の甲板を歩くごとに、船員共が自然と道を開けた。

「退げ退げ…!オラ邪魔だ退げ!」

ダンッと船縁から飛び降りた丁抹が、同じく帽子と上着を脱ぎながらこっちへ歩いてくる。
奴の場合は、船員が道を開ける前に突っ込んでくる形になっていた。
俺たちが対峙するように甲板の中央で足を止める頃には、お互い軽い装備で愛用のエモノを片手にしている状態になる。

「へっへっへ~。すげー久し振りだな!お互い今回の航海長くってよ~。もっとちまちま会えりゃえーんだけっど…。ほれ!これやっから。綺麗だっぺ? 帽子んトコ飾っとけな」
「…えらんわ」

胸に飾りとして差さっていた何だかしらん赤い花を抜き取り投げられたが、それを横払いに払った。
花弁が散って、俺と奴との間を横に流れる。
苦笑と残念げ半々っつー顔で、阿呆が笑いながらシャツの袖ボタンを外して二の腕まで折り返す。
遅れて、俺もサーベル腰に一旦差し、袖を追った。

「なーんでぇ。花好きだっぺな~?」
「おめぇからの花なんざ付けっか、阿呆。他ん花腐るべ」
「ひっで!」

そんな会話をしているうちに、周囲の船員たちから声援と罵声、口笛と喝采が飛び始める。
何十回目になんのかは知らんが…――決闘だ。

 

 

チリン…と鈴の音のような音を立てて柄の尻に付いてる王冠のチャームが揺れた。
今までと振るう方法が変わったからこそ鳴り響いたその音色を捉え、素早く察知して即座にその場にしゃがみ込む。
ぶぉん…ッ!と、ご自慢の戦闘用であるバトルアックスが空を切る。
勢いのある一太刀の音が屈み込んだ俺の頭上を、大振りな分だけ広く響いた。

「チッ…!」
「…」

耳が痛くなるほどの歓声と野次が周囲を囲んでいるはずだが、不思議と互いの武器を振るう音、息遣いの他は何も聞こえない。
一瞬下から見上げた奴の不細工な垂れ気味の双眸は細く爛々として、眉間に皺が寄っている。
毎度毎度、まるで本気で殺しにかかってるように見えた。
憎々しいものでも見るような目で、剣を交えている間は見られる。
実際、殺すつもりなんかもしれん。
一時的に肉体損傷が生じたと言っても、地理的に欠けなければ、治癒に日単位や月単位、時には年単位ででかかる人間と比べれば殆ど即座に治癒が始まる。
…とはいえ、痛ぇもんは痛ぇ。
死ぬほど痛ぇ。
むざむざ撲殺されるつもりもなく、平素見られんようなその表情を睨みあげ、同時に手にしていたレイピアを逆手に持ち替えた。
そのまま、右から左へ足下を狙って払う。
奴の大振りな音と違い、俺の一太刀は常にピッ…!という高音だ。

「ぅお…っと!」

こっちもこっちで足首切り落とすつもりの速度だったが、タンッと右足で床を蹴ると丁抹は軽やかに背後に跳んだ。
追撃する。

「…」
「どあ…ッ!?」

屈んだ時に床に着いてた左手と両足の爪先を始点に、勢い付けて飛び込むと、更に奴は後退した。
レイピア突き出す手首を取られて即座に腕を捻ろうとするんで、逆に身体全体を相手の捻りを相殺するように捻り、キュッ…と左足で床を鳴らすと回し蹴りを跳ばすことにする。

「…ッ!?」

ガン…ッ!と頬骨に硬いブーツの踵が入って、奴の掴んでいた手が緩む。
頬を押さえる奴から俺も跳ねるように後退して距離を取り、レイピア持ったままだがファイティングポーズを作って構えた。
…この頃になって、漸く周囲を取り囲む船員達の爆発的な声援と罵声に耳が気付く。

「ひゃ~…。ってぇええ~!」
「…俺が勝ったらおめんとこのお宝ぱくっかんな」
「ははっ。やんねー…っよ!」
「…!」

再度大きく腕を振るい、アックスが飛んでくる。
俺のレイピアじゃ、防いだところで力負けだ。奴の一振りは退くに限る。
とん、と一歩後退して避けたが、丁抹は素早く持ち手を変えると今度は逆振りで連続した。
舌打ちしながらたんたんと背後に退いて行くと、やがてブーツの踵が縁下の凹凸を踏んだ。
横目で振り返ると、すぐ背後が船縁だった。

「…っ」

眉を寄せて勝負に出る。

「ッラア…!!」

おめガチで殺す気だろっつー縦振り真っ二つ狙いの構えで、丁抹がアックスを振り下ろす。
半歩横へ、ぎりぎりで避け、近くに並んでいた樽の上へ飛び上がった。
空振りしたアックスは、勢いに任せて振り下ろされ、木造の船床にその刃先を食われている。

「お? ぉ…!?」
「…」

相棒が抜けなくなったらしい阿呆を樽の上で振り返り、立ち上がった。
高度を得て視野が広がる。
…が、その瞬間、ぐらりと視界が揺れた。
やべ…。貧血…。
そろそろ疲れてきた。我ながら相変わらずスタミナがない。

「やっちまえー!!ノルさーん!!」
「いったれー!!」
「…」

…取り敢えず、今日は俺の勝ちだべ。
息が上がってきた身体に鞭打って今のうちに二の腕にでもブスリと突き刺してやっかとレイピア持ち直し、さあ終わりだと刃先を向けるその直前に――。

「…♪」

動かないアックス片手に掴んだまま、にへら…と緊張感無く笑う丁抹と目が合った。
この状況で笑う神経に疑問を持つその前に、無造作に丁抹が片足をあげ――。

「おらよっ……とォ!!」
「――!!」

それまで必死こいて抜こうとしていたバトルアックスの浮かび上がっていた柄の方を、体重かけて力一杯踏みつけた。
結果、梃子の原理で刃先の方が勢いよく上へ跳び上がり、その衝撃に微妙に俺の乗ってた樽が巻き込まれた。
思い切り足場が崩れ、一斉に場から悲鳴が上がる。
何人かの部下が血相変えて駆け寄ってくるのが見えたが、その前に、俺の身体は背後から船縁を飛びだした。
落下の最中、悔しさにぐっと奥歯を噛み締め顔を顰める。
畜生。糞ったれ…!
誰かあのド阿呆に「遠慮」っつーもんを教え込んどけ…!

落下を見物するように覗き込んでた丁抹に、落下途中から中指立ててやった。
盛大に立った水柱。
勝敗はメモってあるものの、その決定打が何なのかとか、逐一控えてねえが…。
場外判定はどちらかと言えば珍しい。

Side



「…」

お互い刃を向けて一勝負し、負け、しかも海に落とされて機嫌がいい奴がいるとしたらそいつぁドMだ。
海から引き上げられた俺は身体を拭いて着替え、むす…っとした顔で船長室へ戻った。
髪拭いてた布を首にかけて入ってきた俺を見て、革張りの玉座に勝手に座ってた丁抹が、入ってきた俺を見てすぐさま立ち上がり、両腕を広げる。

「よお、兄弟…!」
「…」
「だいじけ? 悪ぃな、ムキになっちまってよ。俺んとこの収穫一割やっから勘弁しちくろや」
「うぜえ。死ね。極悪」

半眼で即行拒否る。
治癒というよりは回復に値する速度とはいっても、身体真っ二つにしようと襲いかかってくるこの男のことを幼馴染みと呼ぶことに、最近は疑問を生じている。
両腕組んでそっぽ向く俺に苦笑し、丁抹は両手を顔の前でパンッと合わせ、一応の謝罪をしながら俺の方へ寄ってきた。
奴が来る分だけ、俺は距離を開けて歩き出し、隣の船長私室へ繋がるドアへ向かう。

「な~に。怒ってんけ? …んだって、あそこであーしねーと俺負けっちゃーべな!」
「負けときゃええべ」
「負けちったらおめえと二人っきりになれねーべ!?」
「うっせえな…。絞めんぞ」

鼻で一蹴し、隣接している私室のドアを開け中に入る。
空かさず閉めて鍵かけようとしたドアに丁抹が片手と片足の爪先を入れて閉じさせねーんで、暫くその状態で睨み合いながらドアの拮抗が続いたが、ドア全体がギシギシ言いだしたところで仕方なく俺が折れた。
船床だってアックスで割られてでっかい穴開いちまった。
これ以上俺の船壊されちゃ堪んねえわ。
…俺が両手から力を抜いて諦め、背を向けて室内に入ると、空かさず丁抹が入ってきてドアを閉めた。
金の鍵が閉まる澄んだ音が、やけに部屋に響く。

 

 

窓辺に立っていた所、後ろ腰に手を添えられ、ぐいと引き寄せられた。
軽い動作に見せてかなり強引に引き寄せやがる。
クレーム付けようとした俺の顎を掴み、上から押しつけるようなキスに身体が押され、一歩後ろへ足を引いたが、俺を抱く腕は緩まらなかったんで余計に居場所が狭くなる。

「っ……」

無駄に柔らかい唇が重なり、誘うように薄く空いた隙間に思わず舌を突っ込みそうになったが、すんでのところで我に返ってブレーキかけた。
合わせるだけを数秒して、阿呆が顔を離す。
へらへらした明るい顔の中で、青い双眸が悪戯っぽく緩んでいる。

「…今日はキスしてくんねーのけ?」
「阿呆ぬかせ…。いつもしてねーべ。あんこがしてんだ。好き勝手によ」
「ははは…!そーけ?」
「そ」
「んー…。なんでぇ。残念なんなぁ…。…んま、えっか。そのうちな」
「…!」

突然、脇の下に両腕入れられたかと思うと、下から上へ抱き上げた。
一瞬浮いた身体を、そのまま背後のデスクへ座らされ、頬だか首筋だかにキスされる傍ら、襟はきつめのまま、ベスト、シャツのボタンも手際よく外され、皮膚の上を風が通る。

「っ……」

風の通ったシャツの間から広い熱のある掌が腹を撫で、温度差にぴくりと眉を寄せる。
早くもとろりと眠気が落ち、俺はそれを払うように肩で深く呼吸した。
デスクの上に着いて身体を支えてた右手へ、奴の左手が重なり指を絡める。
うざったくて一度逃げてみるが、すぐに上から再度押さえつけられ、絡めるというよりは捕まえるかのように指の間をそれぞれ握り込まれた。
鎖骨に口付ける阿呆の髪から、ふわりと香水の匂いがした。
…何の花から取ってんのかは知らんが、ここんとこ触れてなかった香りに力が抜けていく。

「…ええ匂い」

目を伏せかけたところで、丁抹が俺の胸中と似たようなことを言い出す。
鎖骨に触れていた唇が首に上ってきて、顎を上げた。

「離れてっと、おめえの匂いが恋しくなってダメだわ。即行回れ右したくなっちまってよー。宝なんかほっぽって戻っちまいそーになる。…あー…。早いトコ連中絞めて落ち着かねーかなぁ…」
「…」
「なあ、ノル…。…逢いたかった」

ぽつりと耳んとこで囁かれ、くすぐったさに遅れて顔を顰めた。
肩越しに顔が見えないのが幸いだ。
…何か馬鹿なこと言ってら。
呆れてものも言えず、代わりに額で軽く相手のこめかみを押し、耳に噛み付いて、歯形残してやった。

 

大船と言ったところで、船部屋は狭い。
船長室も広いと言ったところで、それは船部屋で言えばの広さだ。
船長室の一つ奥の寝室も小規模で、始めデスクに座らされてたが、中途半端に服が乱れてきたところで俺をガキをそうするように抱き上げると、すぐ近くのベッドへ下ろした。
仰向けで下ろされたが、なるだけ顔見られたくなくて俯せになろうとするところ、肩を押さえられ、身体を密着されてそれもできず諦める。
スカーフを取り上げ、片手で緩んでたシャツのボタンを外され、左右に開いてから改めて皮膚の上を掌が伝う。
大して良くもない胸の突をぎりぎりの柔らかさで抓まれ、ぴくりと眉を寄せた。
良くない訳ではないが、一応の性別的に性感帯でない以上、脂肪が無い分どちらかと言えば痛みのが強い。

「ゃ…」

背けた顔を追うように、指先がシーツの上に垂れた横髪を撫でた。
無意味に髪を弄られるのは好きじゃない。
人前で撫でられるのは特に好きじゃない。
だが、何故か他人がいない時の阿呆の指は嫌いじゃなかった。幼い頃から慣れすぎたというのもある。
盛大に海に落ちた上に潮風で髪が少しぱさついてんのは仕方ないが、それが少し腹立たしい。
…んだから航海ん時、海上で会うは好きじゃねえんだ。
抱くなら仕事終わって陸で抱け。
陸ならもちっと滑りがいいはずだ。
少し上がってきた息を隠そうと、無意識に唇を探した。
下から首を伸ばして何気なくキスしようとしたところで、ひょい…とダンが顔を引いた。
避けられる予想はしてなかったんで、ちょっこし瞬く。

「…」
「今日はキスしねーんだっぺ? …な?」

小首を傾げ、意地悪く、ダンが近距離で笑顔を向けながら言う。
…。
さっき舌入れなかったこと根に持ってやがる…。
…あーそーけ。
むっとして眉を寄せ、数秒睨み合った後、一息吐いて横を向いた。
そんならキス無しでもええし。別に構ん。
解けかけてたプライドが即座に戻ってきて顔を背けた俺の反応を見て、ダンが笑い出す。

「意地焼けんなって。ウソウソ、ノル。な? ウソだって!」
「…」

扱い楽な子供の機嫌を取るような仕草で、ダンが俺の顎を軽く取った。
正面向くよう言われてんだろうが、意地で真横を向いたまま目を伏せ、ぐぎぎ…と少し抵抗する。
顔の頬に皺が寄って微妙に痛いが、枕の上で俺の顔は横を向いたままでいた。
今更困った様子でダンが眉を寄せ笑う。

「な~もー…!意地張んねーでちゅーすっぺ、ちゅー!」
「…やんね」
「どりゃ!」
「…!」

横を向いて目を伏せていた俺の上にいたダンが、突然ベッドへ倒れ込んできた。
木造のベッドが驚いて軋み、俺の向いている方向へ落ちてきたかと思うと、ぎょっとしている間に肩と顎を掴む手に力が入り、シーツの上で真正面から唇を奪われる。

「…ッ、…!」

ある程度顔を顰めて抵抗したが、まあ無駄な足掻きというやつだ。
舌が入って掴まった段階であっちゅーまに力が抜け、堅くなっていた両肩が緩んだ。
俺の肩から力が抜けたのが掴んでいる奴にも分かったんだろう。
顎に添える手はそのままに、肩を掴んでいた右手は下がって後ろ腰へ回った。
その下で、横向きになってた俺の両足間へ、奴の片膝がずぼりと入り込み、膝で股を押し上げられ、ぴくりと肩が震えた。
…何か、今日はやけにがっついてんな。

「…すぐ欲しい」
「…」

ダンの肩に額を置いて、うざってぇなと思っていると、耳元でぽつりと呟いた。
…熱烈な言葉に体温がまた上昇する。
熱過ぎて脱ぎたくなる。
無反応でいると、肯定と取ったのか、後ろ腰を抱いて引き寄せていた腕が、腰元にあったベルト代わりの巻き布を解いた。
そこでストップしてた自尊心が働いて、目線を反らした。

「…。どーすっかな…」

何がそんなに楽しいのか、わざとらしく言う俺にダンは声もなく満面に笑って改めて俺を抱き寄せた。

 

 

「っ…」

きゅっと先端に親指に爪を立てられ、びくんとシーツ上で全身に力が入った。
危うく声が出そうになるが、何とか耐える。
結局二人してベッドに倒れ込んだままという、実に動きにくい対峙だ。
パンツのボタンを緩めて下着ん中に突っ込んでくる手に任せるだけ任せて、声が出ないようにだけ気を付けながら顔をダンの肩に押し当ててひたすら沈黙していた。
ちょっと直に触れられるだけで、先端から雫が溢れ出し、水音を発している。
反射的に瞑った双眸を、そろそろと開けた。
…頭ん中がとろとろする。
眠くなってきちまって駄目だ。
いつも茹だって、途中から訳が分からなくなる。

「…溜まってんのな」
「……ん」

額にキスしながら呟くダンの言葉に反論する気も起きない。
…一応の性別が雄である以上、何処でだって一人で処理はできる。
だっつーのに、溜めてねえと誰か相手がいるんじゃねえかっつって一度マジギレされて腹ぶった切られてからは無駄なことはしない方が賢明だと悟った。
元々そこまで性欲が強い訳でもない。行為をしなくなったというだけだ。
兎に角面倒臭い。
ただ、その面倒臭さにも最近は慣れてきた。
俺の肩にまだ濡れてねえ方の片手を添えて、顔を寄せていた俺をやんわりと離した。

「…ノル」

名前を呼ばれ、啄むように唇に軽くキスしてから疑問符浮かべてダンの目を見る。

「…なん?」
「解すから後ろ向けな」
「嫌だ…」
「…」
「…」

上がった呼吸のまま真顔で告げると、ダンが一瞬固まった。
そっから疑問符浮かべたまま、くしゃりと曖昧に笑った顔で首を傾げる。

「…何で?」
「耳舐めっから…」
「…。あー」

前回の話だ。
律動の中で何気なく舐められた耳の裏がヒットして、そんで止めろっつってんのにしつこく弄られどっと疲れた。
もう暫くはバックはしねえと宣言したはずだが、どうやら記憶の彼方らしい。
…ま、数ヶ月単位で時間空いてたしな。
ダンも思い出したのか、間延びした声を出した後で猫撫で声を出す。

「んもー舐めねえからあ~。…んなっ?」
「うそくせ…」

昔から、傷を見つけては棒きれで突っつくような奴だ。嘘に決まっている。
会話を打ち切るつもりで、再度ダンの首へ顔を埋める。

「んでも…。正面だとつれーべな?」
「構ん…」
「んー…」

やがて頭上から小さなため息のような呼吸が聞こえ、ぽんぽんと後頭部を軽く叩かれた後で、俺を抱いたまま仰向けに寝返り、身を起こした。
背を無理に反るようになったんで、慌てて奴の左右に膝を付いて俺も身を起こす。
座るダンの前で膝立ちに彼を跨ぎ、さっきのお返しに適当に髪を撫で返してやった。
癖が強くわさわさしている髪は、相変わらず触り心地が悪ぃ。
俺の髪へ手を伸ばすと、少し滑り落ちていた髪留めを抜いてサイドテーブルへ置き、代わりにそこに置いた小物の中から香油を取り出し、口を開けると自分の指をその中へ突っ込んだ。
少量を掬い取り、改めて俺を引き寄せると、下肢への愛撫を再開し、同時に露出していた胸に吸い付く。

「っ……」
「…足開けな」
「…」

ゆったりと小声で命じられ、反発も忘れて僅かに両足を左右に開く。
元々身体を跨いでるんで大して差はなかったように思うが、多少身動ぎすると、尻の間を冷たい粘液を伴う指が撫でた。
…ねえと無理なんは分かっちゃいるが、何度与えられても気色が悪い。

「…」
「こんだもっとええ匂いの持ってくっかんな…」

後孔の入口を撫でる指を感じながら沈黙して目を伏せていると、不意に下からキスが届いた。
ちっと驚いて双眸を開けたが、すぐに気色悪さを忘れようと、そのまま舌を絡めて夢中で交わす。
途中で、く…っと指が侵入し、うっかりバランスを崩しそうになった。
香油のせいで水音が酷くなる。

「っ、はあ…ぁ…」

一気に強い波に攫われ、気が抜ける。
ダンの左肩に置いた右手を支えに、左手の人差し指の背を噛んだ。
殆ど自分じゃ弄ってねえせいか、あっという間に硬さを得て雫を零す。

「…!」

扱いていた手が止まり、先端に親指の爪を立てられ、身が跳ねた。
指を噛むのを止めて、両手を向かい合う奴の両肩へ置き、崩れかけるように背を丸める。

「ん、……っつ」
「…」
「…っ、こっちゃ見とんな…!」
「ぐえっ!」

前後の刺激にびくついて震えている俺んこと眺めてるダンに気付き、突然羞恥を思い出す。
全脱ぎしている訳ではないが、着崩してある衣類の前を一旦合わせて覆ってから、片手でダンの顔面を押し退け、肘を伸ばして距離を取った。

「いでででっ。ちょ、無茶言うなってぇ!んだってぇ、ノルめちゃくちゃ可愛…っうぶ!」
「うぜえ。ちんたらしとらんで、とっとと入れりゃええべ」
「つったってやっこくしねーと切れっちゃーべな……って、いでえ!いでえってノル!止め止め、一旦止め!」

潰れた顔を後ろの壁に押しつけて、微妙に上下に擦り付けるようにゴリゴリ骨を押し当てていると、流石に悲鳴が上がった。
手首を取られ、殆ど全体重かけて押しつけていた腕から力を抜いてやる。
その瞬間、

「…!」

ば…!と飛びつくように、正面からダンが勢いよく俺を抱き締めた。
抱擁というよりは、寧ろ隙を突いて相手の懐に入るくらいの勢いだ。
身体中が敏感になって相手の温度に反応する今では、更に顔に熱が集まる。

「ちょ…っ」
「…」

背中に走る精神的な快感に慌てて身を捩るも、ダンは動かない。
子供が、何かとびきりの宝物にでもしがみつくような様子に、どう反応して良いか分からず困惑する。
…。
…ったく。
鬱陶しいくらいの好意を真正面からぶつけられ、思わずため息が溢れた。
いつもより随分熱い息だ。
身を捩るのを止め、荒い呼吸のまま、頬に張り付いた髪を一度耳にかける。
片腕で抱きついたまま、ダンの右手が俺の腿に添えられたんで、促された気がして腰を落とすことにする。
すっかり勃ち上がっている奴のものへ手を添え、多少解れた後孔へ宛がった所で、首もとにダンが口付けてきた。

「ノル…。愛してる」
「…言っとけ」

正直聞き飽きているが、それでもやはり悪い気はしない。
鎖骨が濡れる感覚が心地良かった。

「おめえは…?」
「…」

近距離で下からにやにや緩んだターコイズブルーの瞳に覗き込まれ、一瞬呼吸が止まりそうになる。
問われ、多少の葛藤があったが、結局は勢いを失ってため息を吐くと顔を背けた。

「…それなりに」

 

キスをしながら体重かけてちっと無理めに腰を落とす。
相変わらず始めの方は身が千切れるような痛みと灼かれるような高温があったが、生来の天の邪鬼でクソ可愛げねえ俺の性分じゃ、こんくらいでしか伝えられない。
キスして勢いで交わして横で寝て…。
目が覚めて直情的な馬鹿と目が合うと、必ずふにゃふにゃした不細工顔で笑われる。
そこ中央に右ストレート決めた後で安堵の息を吐くまでが、俺に言わせりゃ精一杯のセックスで表現だった。

 

 

 

「あ~あー…。めんどいんなぁ~…」
「…」

朝日が昇る頃に揃って甲板に出る。
船縁に肘着いて風に当たっていると、隣で後ろ向きで両肘をかけていた阿呆が両肩を竦めてぼやいた。
数秒硬直してから、半眼で頬杖着いて顔を背けた。

「…そら悪がったな」
「は? …って、ちげえちげえ!!おめえがじゃねえって!んなワケねっぺな!」
「…」

てっきり俺を抱くのが面倒なのかと思ったが、物凄い勢いで素早く全否定が飛んできた。

「…何。ちげーんけ」
「んなワケなかっぺな~。…んじゃなくて、離れてんのがよ」

またよく分からないことを言い出しやがる…。
そもそも、こーやってちょいちょいくっついてる方が今のご時世逆に珍しい…っつーか、たぶん本当言うと御法度的な域に達する。
少なくとも、うちの上司はこん馬鹿に虫唾が走るらしい。
ガキん頃は難しい事情何もしらねえで近所ってだけで遊びまくってたが、今じゃ好き勝手に動くなと言われ、この馬鹿とああして遊ぶにも、一見勝負の敗北を装う、ああいった趣向が必要になってきていた。
バレそうなもんだが、俺の方も年がら年中負けっぱは無理なんで半ば本気で受けて立つ。
結果、今んとこ互いの上司にはバレてはないらしい。
…それでも俺が散々な目に遭っているという報告が上がり、上司の丁抹嫌いは尚更助長されているが。

「しゃーねーべ。…国なんだからよ」
「駆け落ちして一緒に暮らしっちゃーけ!?」
「できっか。阿呆」

名案とばかりに明るい顔で声を張る丁抹にため息吐く。
逃げられるわけがない。
それは自己存在の否定に繋がる。
否定したからどうなるというわけじゃねえのかもしれんが、どうにもなんねーんだったら、やっぱ考えるだけ悲劇だ。
身体の向きを変え、俺と同じように両腕を縁にかけると、奴は重ねた腕の上に背中を丸めて顎を置いた。

「う~…。人間なんてどーせ一瞬で死ぬってーのに、なぁーんでまあ喧嘩すっかな~…」
「知るか。そのうち上司の方針も変わっぺ。おめえがもちっと…」
「…」

まともになったらな…と、嫌味ぶつけて続けるつもりでいたが、丁抹は最初に呻ったっきり、水平線を見詰めたまま、眉一つ動かさず沈黙していた。
真顔に近い横顔に違和感を覚え、僅かに首を傾げる。

「…。どしたん?」
「んー?」
「何ぞおるん?」

見詰めていた先の海を俺も眺めてみるが、特別何もいない。
そんな俺を見て、丁抹が横で小さく笑ったが、笑い声も呼吸も、横風に流されて俺にまでは聞こえてこなかった。
そんなに長い時間いたわけじゃねえが、風に当たっていたからだろう。
その後キスされた唇が、随分冷たかった。

 

 

 

数年後。
北の海にだだっ広い、北海帝国が誕生する。
気付けば上司が殺され、家を焼かれ、俺は海を渡り南まで広がった巨大な"邸宅"に足を踏み入れるしかなかった。

石段の上から、長い毛皮のマントを肩にかけて小走りで下りてくる幼馴染みが、まるで他人のように思えた――。


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