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池が好きではない。
手水も好きではない。
衣を新調するのも好きではない。
求めた時は雄々しく立派な柄に見えたが、袖を通した時にそうでもなかった時は殊更だった。

「…みっともないな」

白い布地に紫の結び。
拵えた軍羽織は立派でいいものだと思っていたはずだが、実際に袖を通すと細さが目立った。
己の体を見下ろしてぽつりと呟いた言葉に、控えていた近習がいっそ誇らしげに顔を上げる。

「何を、半兵衛様。お美しゅうございます」
「それがみっともないんだよ」

見知った顔ばかりで油断していたこともあった。
間髪入れずに口を開いた僕に、近習は「しまった」という顔をし、慌てて頭を下げた。
もう一人控えていた近習が咎めるように彼を睨むとますます萎縮してしまったようなので、敢えて小さく声をのせて笑んで見せた。
すると謝罪の言葉を口にする勇気が出たとみえて、改めて彼が頭を下げる。

「も、申し訳ございませぬ…」
「いいよ。気にしないで」
「雄々しゅうございます、半兵衛様」
「それもまた態とらしいね」

もう一方の取って付けたような言葉にも賛同しかねると、二人して萎縮してしまった。
悪気半分本音半分だけれど、このまま二人を戻すのは気の毒だ。
薬を入れておくとしよう。

「すまないね。僕も君たち相手だと気心が知れているから、つい我が強くなってしまう。褒めてくれた気持ちは嬉しいよ。ありがとう」

言った後で、意図的に笑みを深めてみる。
まるで褒められた童のように好意的な瞳が向けられたのを確認してから、いつも通りを気取って文机の方へ爪先を向ける。

「馴染むように、暫く身につけていよう。…さあ、もういいよ二人とも。次の戦は僕の軍も出ることになるからね。君たちにも力を発揮してもらう。宜しく頼むよ」
「はっ…!」「畏まりましてございます」

一礼して、次の間へ出て行く近習。
彼らが去った後、腰を下ろすとどっと落胆が押し寄せてきた。

「ふう…」

伸ばした両手を文机へ着け、己が姿を今一度見下ろす。
白い。細い。
まるで寒中、雪を被った小枝のようだと、我ながら思う。
中には美貌と称して褒める者もあるが、僕自身は致命的なまでの欠点だと思っているし、実際それで謂われの無い屈辱も受けてきた。
武士たるもの、剛健が何よりだ。
僕にはそれが乏しい。
手の甲一つを目の前に掲げて見せる。
青白いそれは、確かに客観的に見れば「それで刀を持てるのか」と問いたくなるものではある。

「…情けない」
「何がだ」
「…!」

ぽつりと呟いた言葉に返しがあり、驚いて顔を上げた。
上げた視点の先で襖が開き、まるで岩のような巨軀が室を照らしていた日差しを遮る。

「秀吉…」
「新しい陣羽織が仕上がったと聞いてな」

すぐに体の向きをずらして頭を下げようとしたが、秀吉が告げながら片手を上げたので止めた。
気にしなくていいというからには、プライベートなのだろうから。
足音も聞こえなかった。
いつもだったら気配を察せて当然の秀吉がこんなに傍に来るまで気づかなかったなんて。
呆けすぎていた。迂闊だった。
秀吉が僅かに背を屈めて室へと入ってくる。
まるで怠けていたところを見られたようなバツの悪さを感じる僕の正面に胡座をかいて座り、じいと僕を見た。

「見事だ」
「本当にそう思ってる?」

思わずくすりと笑ってしまう。
先に一人でそうしたように、軽く片腕を持ち上げた。

「確かに動きやすくて、出来も色も気に入っている。けれど欠点があるんじゃないかい?」
「うむ。美しすぎるな」
「嬉しい感想を有難う」

態とらしくゆっくり礼を言う。
深い声で即答されると悔しい。
思わず片の口角があがったのが自分で分かった。
秀吉に言われれば他の輩に言われるよりは心に多少の余裕がある。
ふわりとした気持ちも少なからず生じはするが、それでもやはり苦いものがあった。

「…君が羨ましい」

ぽつりと呟く言葉は、思いの外深く響いた気がした。
秀吉が淡々と僕を見下ろす。

「恵まれた体躯は、天が君に与えた何よりの恩恵だよ、秀吉。覇者の証だ。たくさん壊して、たくさん創れるものね。…僕にも、こんな腕があったらよかった。きっと君を、今以上に力強く支えられもしただろう」

片腕を伸ばして、そっと秀吉の腕に触れる。
太い腕は筋肉質で体温も高い。
間違っても姿形で馬鹿にされることはないだろう。
確かに、姿形で人の器が決まるものではない。
見た目でその人物を判断するのは愚の骨頂だ。
だが逆の見方をすれば、器をつくる一つの要素として、姿形の持って生まれた見栄えというものがあるのだ。
散々馬鹿にされてきた。
細い、女顔、軟弱、と。
しかも、それに添って体も強靱な方ではないときたものだ。
先の二人程ではないにしろ、相手が見知った者だと己が出てしまうのはこちらも等しく、秀吉の前では余計に気持ちが沈んできた。

「十分支えとなっておる」
「だといいな」

つ…と添えていた手の指先までを意識して、太い腕を意味深に撫でる。
秀吉にも分かったようで、一瞬空気が変わった。
勿論、こんなに明るいうちから事始めたりはしないが、彼へ少しばかりやり返したつもりになって満足する。
挑むように秀吉を見上げてにこりと微笑してみせ、今度は一瞬前のその雰囲気を散らすように目を伏せて肩を落とし、敢えて話を戻す。

「とはいえ、場所は戦場だ。僕としては、できうる限り見栄を張りたい、と――!」

呆れ顔をつくって彼の腕から手を離そうと思ったが、その手…というか腕を、ぐいと不意に引かれる。
軽く腕を引かれた程度で体ごと持って行かれるのには、我ながら呆れ果てるが…。
兎も角、驚いている間に、ばふっと面を彼の上質な着流しに埋め、僕の体は秀吉の片腕の内側へと収まってしまった。
顔を上げる頃には引かれた腕は解放されており、逞しい腕が緩く包むように背後にあった。
左手で額を押さえ、殆ど真上を見るような調子で秀吉を見上げる。

「驚いた…。急に何だい、秀吉」
「お前が我と等しき体躯であったなら、こうして抱じることもできまい」
「…あぁ」

背に添えられた太い腕を一瞥し、彼の言わんとすることを察する。
少し珍しい。

「そうだね。君の腕の中に収まるという点では、僕は幸せ者かもね。…有難う」

片手を秀吉の胸に添え、目を伏せて一度だけ額を添える。
本当は、大概のものはこの腕の中に収まり、それは決して僕だけではないとは思うのだけれど…。
何より気持ちを嬉しく感じた。
職も録も、いくらもらってもどうせこの手には何も残らない。
それよりも僕は心が欲しい。
気持ちや誠実さが何より嬉しいことを、秀吉はよく知っている。
巨大な体躯に身を寄せると有無を言わさぬ安堵感を得られる。
もう少しこのままで…なんて、甘えた考えが本格的に頭を浮かせる前に、あまり長くならないうちに額を離し、改めて秀吉を見上げる。

「本当に羽織りを見に来ただけかい? 何か用事があったんじゃなかったの?」
「うむ。佐吉が…」
「佐吉君?」

佐吉というのは秀吉の近侍の一人だ。
少し前に出た時、ふらりと連れて帰ってきた。
直接話したことはまだ少ないけれど、名を聞けば察するくらいに気にはなっていた。
線が細く華奢で、僕の幼い頃と少し似ていた気もしたし、いずれ声をかけてみたいと思っていたところだ。
どうも聞くところによると、とても一本筋通っており忠義に篤く生真面目な性格らしい。
見方を変えれば、少々我が強く己の善しとするところ以外は頑なに通らせず。
噂では、今のところ同じく近侍の刑部君が若手に生じる摩擦のバランスを取っているらしい。
絵に描いたような"武士"になまじ夢見ている秀吉が拾ってくるのだから、おそらく本当にその様なのだろう。
ちらちらと見たことのある彼を思い出しているうちに、秀吉は懐から一枚の面衣を取り出した。

「これは?」
「お前に与えよう」
「僕に?」
「佐吉が浮かない顔をしておってな。問い質したところ、お前が戦に出ることを案じておってな」
「…どういう意味だい?」

顔を顰める。
争いごとは嫌いだ。民を傷つける。
何にせよまずは負担や犠牲が必要最低限になるように心を砕くべきだ。
けれど、僕だって武士の子。
一度始まると決まったからには、戦に出るべきだしそれは僕という星の義務だと思っている。
佐吉君は何てことを言うんだろう。ろくに僕のことを知らないくせに。
不快を露わにした僕を解放し、秀吉が続ける。

「彼奴は、随分とお前を慕っておるようだ」
「慕っていてそれかい?」
「お前が過去にその容姿で蔑ろにされたことを何処で知ったか、此度の羽織がどのようなものか、遠くより気にしておった。お前が他の者に蔑まれるのが、我慢ならぬのだそうだ」
「…なるほど。ところが、できあがった羽織はそこまで仰々しい訳でも、僕の貧相な体躯を特別隠してくれるわけでもないから、せめて顔を隠したらどうか…ってこと?」

思わず苦笑する。
一瞬生じた不愉快も、どこかへ散ってしまった。
脳裏に、あの実直な少年が秀吉の深い声に問い詰められ、畏まって応えている様子が浮かぶ。
秀吉に嘘をつくことができず、その心配が一方で僕の容姿への侮辱になることも分かっているのなら、さぞや言いにくかっただろう。
肩を落とし、片手を頬に添えてふう…と息を吐いた。

「君の近侍にまで…。心配をかけるね」
「捨て置くか」
「まさか。少しばかり複雑だけれど、嬉しいよ」

秀吉の手から面衣を受け取る。
口では複雑と言ってはみたけれど、手にする頃には複雑さなど何も無く嬉しく感じた。

 

 

 

 

「…少しはまともに見えるかい?」

陣中に人の少ない戦直前、もらった面当てを顔にし、指を添えてそれとなく聞いてみる。
あまり気のない調子で、中央で腕を組んで仁王立ちしていた秀吉がちらりと僕を一瞥した。
それから、たった一言肯定する。

「うむ」
「そう…。君がそう言うのなら…まあ、信じようかな」

容姿を軽んるわけにはいかない。
特に戦場では重要視される。
一歩間違えれば恐怖と死にすぐに掴まってしまう場所だからこそ、敵の士気を下げ己を奮い立たせる為にもより「強靱」に見えれば見える程よい。
逆に言えば、女顔の細い武将を見つけてしまえば「倒せる」と思わせてしまうわけだ。
僕自身がおとりになるような時にはいいが、それ以外であればあまり招きたくはないことだ。
軽んじられるというのは、やはり不愉快に違いない。
たった一枚と軽んじていた割に、己の顔が隠れるというのは僕に安堵をもたらした。
けれど…と、小さく息を吐く。
無論、体つきが変わるわけではない。
顔が少しばかり判別しにくくなったからといって、根本的な問題解決には――。

「小物すら油断をする程に、お前は美しい。戦場では必要以上にその顔を晒すものではない」
「…」

ぽい、と横から放るように自然と、秀吉がそんなことを言ったから、はたと固まった。
驚いて、無言で数秒間、彼を見上げる。

「…。今のって褒め言葉?」
「戦場では逆であろうな」
「…ふ」

片手を口元に添え、くつくつと笑う。
僕の嫌いな言葉でも、相手によっては嬉しく感じるものだ。
軽く小首を傾げ、再び秀吉を見上げる。

「僕を美しいと思ってくれるのは、君だけでいいよ。…君も、今日もとても勇ましくて雄々しいよ。流石は僕の秀吉だ。惚れ惚れする」
「…」
「佐吉君にお礼を言わないとね」
「そこにおる」

続けて言っておいてあげると、受け答えから逃げる理由をつけた秀吉は腕を組んだままふいと視線で陣の口を示した。
忙しそうにあれこれ用意をする若い数人の中、確かに佐吉君を見つける。
秀吉が歩き出す。
僕もそれに着いていった。
秀吉が近づくと、忙しなく動いていた兵たちは皆道を空けて頭を垂れる。
その中に佐吉君もいた。
秀吉はそのまま出て行ってしまったが、僕は歩きながら佐吉君の肩をぽんと片手で叩いた。

「面衣、有難う。秀吉のことを宜しくね」
「…!」

びくっと小さな肩が震えたことを指先で感じたが、全身で感動を示している彼を敢えて流して、秀吉の後を追う。

「彼…佐吉君、利発そうな子だね。君が好きそうだ。君は逸材を見つけるのが上手いね」
「己がことか」
「勿論、僕も含めてさ。君の軍だもの。凡庸な者はないよ」

そう告げると、秀吉はほんの僅かに口端を緩めた。
そんな些細な変化で僕の心も晴れる。


君だけでいい



いつまでも君の隣は歩けない。
だからこそ、今この瞬間が尊く感じる。



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BASARAの秀吉と半兵衛。
どの陣のコンビも好きですが半兵衛さんはやっぱり美人です。
ギャグノリに見えて地味にEDが暗いのが大好き。
2017.1.30





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