一覧へ戻る


春夏秋冬、いずれの季節どれが好ましくないかと問われたら、元就は夏と答える。
彼は夏が苦手だ。
瀬戸内の冬は厳しくない。
北に住む者達程冬の脅威はなく、どちらかと言えば夏の暑さが煩わしい。
勿論、信仰する日輪の最も輝く季節である為、敢えて口にすることはないが、どの季節が苦手かと問われれば、夏だった。
昼夜を問わず、暑さに負けて戸を開けたりして、身許が薄くなるのも好きではない。
特に、希に訪れる熱帯夜は最悪だ。

「…――ん」

眉を寄せ、布団の上で身動ぐ。
蒸し暑い…。
寝苦しさに負けて、元々浅い眠りが更に浅くなり、ちょっとしたことで目を覚ましてしまう。
その、"ちょっとしたこと"…とは、例えば、隣に寝ていた男が寝ぼけついでに横向きになっている自分の背中に張り付いてきたり…とか、そういうことでだ。

「……」

微睡みの中、熱さの原因がはっきりしてくるにつれて、苛立ちと共にどんどんと思考が起きてくる。
いい加減耐えかね、寝ぼけ眼を開けて肩越しに背後を振り返れば、案の定、べったりと己の背にくっついている男がいた。
布団はしっかり離してあるはずが、己の敷き布団に収まらず、かーかー…と心地よさげな寝息を立てながら、男・長宗我部元親は情事そのままにほぼ半裸の状態で、寝間着を薄手の布団代わりにしていた。
しかも、我が物顔で元就の腹へ片腕を回し、脚を絡めている。

「…――」

す…と、元就の目元が陰る。
眉間に皺を寄せ、己の腹に回っている元親の腕の手首を取って、ぶんっ…!と大きく放った。
それから両手で僅かに開いていた己の襟を直し、絡んでいた足を蹴り飛ばし、半身を起こすと、パンパン!…と、二回手を叩く。
間髪入れず、屏風の向こうにある襖が開く音が微かにした。

「お呼びでしょうか、殿」
「今宵は暑い。この客人を縄で縛って、庭の玉砂利で涼ませてやれ」
「はっ…」

そんなわけで――…、

 

 

 

「「どっせーい!」」
「うおおおおいっ!?」

両手両脚を罪人のように縄で縛られた元親が、真夜中に寝所傍の玉砂利の上に放り投げられた。
ドシャッ…!といい音が夜の庭に響き、いい月明かりの下、辛うじて寝間着を身につけてもらえた元親が何とか膝立ちになる頃には、元就の部下たちは一礼して下がっていった。

「ぅおい、毛利!!テメェ、ンな真夜中に何の真似だ!?」
「喧しい」

縁側に澄ました顔で立ち、元就は思いっきり見下した目で元親を見下ろす。

「先に我の安眠の邪魔をしたのは貴様ぞ」
「ハァ!? 俺が何したってんだッ!」

理解に苦しむ元親。
そもそも、つい先刻まで久方ぶりに飲み食いし、何だかんだと褥を共にした仲だ。
ごろごろと身を抱いて眠るのは元親の中では少なくとも「邪魔」という認識は全くない。
逆に、生理現象と割り切って小姓代わりに元親を使ってやっている気でいる元就はというと、事が終わったあとともなれば、己の敷き布団に入ってくること自体が最早「邪魔」である。
第一、元就は暑さが苦手だ。
本当ならば夏場にこの男と交わる気も全くなかった。そこを元親が久し振りに顔を合わせたからと、言葉巧みにごねてくるので、仕方がないから付き合ってやった感が大前提。
鶴姫曰く「別れればいいのに☆」の一言に尽きるのだが、よくよく視ればその縁はしっかり結んであるということで、煮ても焼いても離れることは難しい、ご愁傷様でっす!…――という悲惨な結果を、元就は未だ信じていない。

「貴様は暑苦しい。我の隣で眠るなど、厚かましいにも程がある。身の程を弁えよ」
「おいっ。それついさっきまで俺の下で啼いてた奴の台詞じゃあねぇだろうがよう!」
「おお…。そうであった。我としたことが、忘れるところであったわ」
「ん…?」

元親の言葉に何かを思い出した様子の元就。
縁側を降り、ずかずかと縄で縛られている彼の元までやってくると、いきなり寝間着の胸ぐらを掴み上げて張り倒し、その背中を片足でぐしゃりと踏みつけた。
ぐぐぐと体重をそこへ乗せてくる。
上から押され、頬や縛られた膝や脚が不安定な玉砂利にぎりぎりと押しつけられた。

「いででででっ!!」
「貴様…、先刻はよくも我に体重をかけおったな」
「テメェが欠片も動かねーからだろォが!!」
「黙れ、素人が」
「し、素人だァ!?」
「そもそも、貴様は酷く時間がかかって効率が悪い。端的に欲を吐くならばやはり女を取るか、手頃な下僕を取った方が――…」
「オイッ!」
「…!」

ぐお…!と力任せに背中を持ち上げ、元親が身を起こした。
仕方なく足を引いてバランスを崩した元就を振り返ると、ずいと近距離まで顔を詰める。
唇を取られそうになり、元就は反射的に片手を挙げ、ガッ…!と元親の顔を鷲づかみにし、力一杯拒否してぎりぎりとその手に力を入れた。
チッ、と露骨な舌打ちが目の前でされ、元就は益々顔を顰める。

「貴様…。誰の許しを得たか」
「…野郎は止めろ」
「何…?」
「女はいい。好きに抱け。だが、抱かれんなら俺だけにしろっつってんだ!」
「…」

爛々と輝く鬼の目は、今宵も赤い。
真摯に見詰められ、今度は元就が舌打ちをし、素早く元親の脚を払う。

「どあっ!?」

軸足を取られ、再び見事に砂利に顔を沈める元親。
そんな彼を冷たく見下す。

「貴様などに指図される謂われはない。我が事は我が決める」
「か、可愛くねえぇ――…ぐおっ!」
「ふん…」

うつぶせに倒れた元親の背中に、情け容赦なく元就が腰掛ける。

「敷物の代わりにくらいはなれるようだな」
「こぉんの…」

苛々と顔を歪めている元親を見下ろし、ふとその顔がよく見えることに気付いて、元就は今度は顎を上げ空を見上げる。
見れば、今夜の月は丸く明るい。
室内では生ぬるくくもって感じた風も、外では涼しく、静かに元就の頬を撫でた。

「…。今宵は、空が明るいな」
「あ? …あぁ。十六夜だからな。昨日はもっと真ん丸だったじゃねーか。見てなかったのか?」

尻の下に敷かれながら、当たり前のように元親が言う。
元就は、日輪の昇る日の出日の入りは大事としているが、夜の空にはあまり興味はなかった。
せいぜい明日の天気を知るために見上げる程度で、月に雲がどの程度かかっているかなどは注意深く観察するが、月の美しさなど言われなければ気にも留めない。
今でこそ安芸を牛耳る大名だが、元々雅な育ちではない。
こういう、ふとした何でもないところで、そのことを妙に思い出させられる。

「…」

…夜風が通り、体が涼む。
どこかで鈴虫と蛙が鳴いていることにも気付く。
そのまま静かに涼んでいると、尻の下に敷いた元親がいくらか身動ぎして、肩越しに後ろ腰に座る元就を見上げる。
抵抗は収まり、縄がなければその場で頬杖でも着いていそうな様子だ。
大変不本意だが……この角度から見る元就と月は、なかなかの景色ではあった。
胸中、はあ…と息を吐く。

(だから、何だってんだ、そのツラは…)

常々気を張っているこの青年は、言葉仕草とどれを取っても相当にキツいが、ふとした瞬間に気が抜けたような、あどけないような物寂しいような、そんな表情を見せる。
この表情を知らなけりゃ、もっとスッパリ縁を切れて対峙できただろう。
元就の、殴る蹴る斬る縛る吊すなどは割と日常茶飯事で、同盟国主相手にそれはどうなんだと、勿論思わないわけがない。
だが、まだまだ機会など数える程だが、出会った当初と比べれば、その表情を見る機会は目立って多くなっていた。
普通の輩なら激怒して即刻戦になりそうなものを、元親生来の懐深さが幸いしてか災いしてか、元就の態度をその場その場で怒りはするものの、結局許して流してしまうから、今のところ安芸と土佐は安定しているのだ。

「……あのなァ、毛利。一つ言わせてもらうがよ」
「何だ」
「時間かけてんのは、テメェとの逢瀬に重きを置いてやってるからで――…ぶっ!」
「左様なことは聞いておらん」

後頭部を片手で鷲づかみにされ、再び玉砂利に顔を埋める。
元親の頭から手を離し、しっかりと彼の背中の寝間着でその手を拭ってから、元就はゆっくり立ち上がった。

「そろそろ体も冷めた」
「は? …お、おい!」
「何ぞ」

一人縁側の方へ歩いて行く元就に慌てて、元親も何とか上体を起こす。

「いい加減、縄くらい解けってんだ!」
「ふん…。我の所まで戻って来られたら解いてやってもよいわ」

言うが早く、元就は縁側へ上がり面倒臭そうに元親を振り返って言い放つ。
そのまま寝所へ入ると、ぴしゃりと障子を閉めてしまった。

「…チィッ!」

舌打ちしてから、拘束された体を捻り、勢いを付けて跳ね起きる。
両手はこの際なんとでもなるが、拘束された足では動けない。
夏とはいえ、一応の国主で、賓客扱いのはずのこの屋敷において玉砂利の上で一晩は流石にない。
仕方なしに覚悟を決め、跳ねるようにして、筋力任せに移動をし、何とか縁側まで辿り着くと、体を器用に使ってよじ登った。
元親の親衛隊が見たら憤慨して暴動でも起きそうなものだが、やはりこんな処遇も、元親の大らかさは舌打ち一つで受け入れてしまう。
惚れた弱みというやつだ。
…それに、恐らく元親の予想通りなら――。

「ッ…ラァッ!」

縁側を這って、ぜーはー言いながらがらりと首で開けた障子の中では、案の定、己の布団の上に座して元就が退屈そうに元親を待っていた。

「…。存外早いな」
「へっへ…。どーよ?」
「なかなかの芋虫ぶり。貴様には似合いよ。罪人として捕らえられた際のいい練習となったであろうよ」

言いながら、ようやく元親の縄を細い指が解き放つ。
拘束されていた関節を解している元親へ、びしりと元就がもう一方の布団を示しながら言った。

「よいか。これに懲りたならば、今宵はもう我に近づくでない。何度も言うが、貴様は体温が高く、暑苦しい。大人しく己が床で休むか、今すぐ客間へ行くかの二択よ」
「へいへい…」

がしがしと頭を掻きながら、胡座を掻いて元親が一応頷く。
本来ならば、事後は抱き合って眠りたい。
腕の中に収まる細身は抱き心地がいい。無意識に手探りで求める程に。
…が、嫌よ嫌よのうちに強引に求める程、本気でないわけでもない。

「…おう、毛利よォ。寝る前に口吻の一つでもしようや」
「断る」
「お前なァ…」
「黙れ。不満があるのなら次は城外へ追い出すぞ」
「…はー」

一蹴されて、元親は肩を竦める。
そんな全く温度のない声を聞いて、そーいえば自分が一応の客人であったことを思い出すが、この扱いはどうだろう。もう慣れたものではあるが。
はあ…と再びため息を吐いて、それでもこの男を嫌いになれない己に呆れ果てる。
引く手数多で通っているというのに、この男の網に捕らえられてしまった。
…キスまで嫌なら仕方がない。
寝る準備をしている元就へ片腕を伸ばすと、するりと細い肩を組んで身を寄せた。
耳元へ、ただただ優しく囁く。

「…――おやすみ」
「…」

ぎろりと冷たい目が元親を睨み、肩にかけた手は音を立ててすぐに弾き落とされた。
両手を開いて降参のポーズを取ると、眉間に皺を寄せた顔のまま、元就は己の布団へと入る。
しっかりとわざわざ背中を向けるところが可愛いなと思ってしまうあたりが、もう末期なのだろう。
抱き寄せて眠りたいところを辛抱し、そっちがその気ならノってやろうと、自分も背中を向けて寝ることを決め、縄の痕がくっきり付いた腕で、大雑把に掛け布団を開く。

「…ったく。こっちもこっちで夏は嫌なモンだぜ。真冬はもちっと可愛げあるくせによォ…」

毒づく元親の後頭部に、がんっ!と固い枕が飛んできた。



骨の髄まで





律儀に響く鈍い痛みを片手で撫でながら、せめてもの嫌がらせに、枕が変わると眠れないはずの元就の枕をそのまま頭の下に置いて寝てやった。



一覧へ戻る


親就小説。
シリーズが進むごとに距離感が出てくる二人だけれど、好きです。
元就様の女王様っぷりが好き。
2019.10.25





inserted by FC2 system