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「半兵衛様!伊達軍の先鋒隊がもうそこまで…!」
「…無理をするね。若さというか、青いというか…」

駆け込んできた部下の報告に、陣中で目を伏せると小さく息を吐いた。
伊達家の結束は他の家よりも堅く、元々調略するには向かない上に地の利は彼方。
今回は彼らが直接の狙いではない。通りたいだけだ。
すんなり通してはくれないだろうから仕掛けては来るだろうけど、こちらとしては散らせればよかった。
進軍するであろう道々に伏兵は潜ませてあったけれど、そこを力任せに突っ込んできた伊達郡の数をあまり減らせないであろうことは想定内だ。
若い軍は時に予想を上回る勢いがあって困る。
勿論、そこまで考えて此方も用意をしてあるが。
次の策を皆に伝えようと采配を手にする。
途端、体ががくりと震えた。

「――!」

いけない、と思う間もなく呼吸が唐突に乱れる。

「げほっ…!ごほっ、…っ」
「半兵衛様…!」

震えが僕の体を乗っ取り、咄嗟に片手で口を押さえて体を折る。
僕の身を知る数人の部下たちが顔色を変えて駆け寄ってきた。
大丈夫、と伝えようと開いた口からまた咳が出て、上げたつもりの片手はどうやら高さがなかったらしい。
そのまま咳が続き、喋ることは難しかった。
くらりと平衡感覚が失せ、まるで船上にいるかのように足場がゆがむ。
熱い汚れた血が口の中に登ってきたが、はき出す訳にはいかないと意地で再び喉の奥へ戻した。
ぐらりと体が傾き、近くにいた近習に倒れ込んでしまったことが辛うじて分かった。
傍の者は流石に僕の体のことを承知しているせいで、一気に彼らの顔色が変わったのを肌で感じる。

「半兵衛様!半兵衛様!?」
「半兵衛様、お気を確かに!」
「おい、薬を!白湯を持て!早くし――!」
「――!」

わっと喚く皆の声も、膜が張ったようにどこか遠い。
最悪だ。
皆に力を発揮してもらおうとしていたのに、ここで他でもない自分が動揺を走らせるなんて。
我が身が憎々しい。
…駄目だ、ここで気をなくしては。
政宗君の軍がすぐそこまで来ているというのに、このままでは次の一手を打つこともできず勝てない。
秀吉の為、僕がここで倒れるわけには…。
――。

僕の意地を笑い飛ばすように、視界は暗転した。

 

花の咲き場所


 

 

「――!」

ばっ…!と唐突に意識が覚醒した。
直前まで眼を開けることが許されず、しかし意識がないうちから焦燥を体が訴えていたのか、漸く開眼の許しを得てそれこそ弾かれたように眼を開いた。
第一に飛び込んできた天井は一目するだけで見慣れないものであることは明確で、ざっと血の気が引いた。
続けざま無意識に体が動くかどうかを判断するために身を起こそうとして、思いの外あっさりと上半身を起こすことができた。
縄などはかかっておらず、見下ろした自分の体はあまり趣味ではない着物を襟緩く身につけている。
視線を上げて周囲の様子を眺めれば、場所はどこぞの室のようだ。
板張りの部屋に布団が敷いてあり、どうやらそこに僕は寝かされていたらしい。
室内の明るさは、部屋の一面が表に面しているらしく、障子越しに差し込む日差しのお陰のようだ。
造りは質素で代わり映えがないありきたりな部屋だが、直感がこの場所は自分の知らぬ場所なのだと告げている。

「ここ……っ」

ここは何処だと呟こうとして、くわんと頭の中が揺れる。
一気に半身を起こしたせいだろう。

「く…」

平衡感覚が失せ、倒れかけた体を支える為に片手を布団へ着いた。
そこで、直前のことを思い出し、はっとする。
…そうだ。
僕は陣にいたはずだ。
伊達の軍勢が攻めてきて――。
そこでまた呼吸がつまり、咳をした。
ごほごほと咳き込んでいると、声を聞きつけたか、障子続きの次の間が、不意にシパン…!と左右に開き放たれ、若く荒っぽそうな青年が立っていた。
背後に二人の近侍も控えている。

「お、目が覚めたか」
「…」
「そんじゃあ、梵天に教えてくるか。…おいっ、オエェら!しっかり見張っとけよ!」

青年は落ち着くことなく、近侍に言い放つとそのまま踵を返してしまった。
残された二人が主の命に答え、布団の上にいる僕から少し離れた場所で胡座を組む。
どすどすと遠慮の無い足音が遠のいた頃、そっと枕元を振り返る。
…よかった。血は吐いてない。
ほっと安堵して片手で枕元を撫で、改めて顔を上げると慎重に口を開いた。

「…もしかして、ここは伊達領かい?」
「おうよ」

彼らの羽織を見れば当然分かりきっていることだが、念のため聞いてみてそっと息を吐く。
捕縛。
…と考えるのが普通なのだけれど、この待遇はどうなのだろう。
自らを嘲笑うように顎を上げてみる。

「いいのかい、君たち。こんな日当たりのよい場所に敵将を横たえて」
「知るかよ。オレらは成実兄貴の望む通りに動いてるだけだぜ」
「この後、兄貴や小十郎様や筆頭が斬れっつったらすぐにでも刎ねてやるけどな。…にしても、アンタ」

じろじろと不躾な視線と交わり、冷めた目で見返してやる。
口を開いていた片方が、僕を顎でついと示した。

「えらいキレーな顔してんな。とてもじゃねえが豊臣の要にゃ見えねえぜ。下っ端連中の群れに放り込まれねえでよかったじゃねえか」
「ハハッ!違ェねえや!」
「…」
「アンタの兵も逃げなかった奴は捕らえてあるが、今んとこ無事だ。ウチの筆頭たちに感謝しやがれ。ま、この後は知らんがな」

下卑た冗談と程度の低い嘲笑が部屋に充ち、胃液が口へと上ってきた。

「ん…? おいアンタ、大丈夫か?」

片手で口を押さえて体を折った僕に一方が気づいて、片膝を立てて近づいてきた。

「――」

ぞっと悪寒が背中を走る。
まるで冷水をかけられたように下から上へ這う冷気。
伸ばされた片手が届くのを恐れ、咄嗟に布団に片手を着いて腰を浮かせた。

「…っ!」
「おっ……う、ぉおおおあああ!?」

起き上がり様に相手の伸ばされた腕と襟首を掴むと、足を払って体の均衡を崩し、自分の狭い肩を何とか使って投げ飛ばす。
投げ飛ばす瞬間にはっと我に返り、叩き付けるのではなく軽く浮かばせるように投げを調整した。
ど…!とあまり大きすぎる音もたてず、重い体が床へと落ちた。
倒れたその姿を見て、今取った自分の行動を自覚して顔を顰める。
…しまった。つい。
今彼を投げ飛ばすつもりはなかったので、ひとまず謝っておこうと背後のもう一人を振り返った。

「すまない。今のは――」
「テメェ!!何しくさってんじゃやるかゴルァァア!!」

ところが、もう一人がすぐさま飛びかかってきてしまった。
…だろうね。
冷静になれるような理性は持ち合わせていないであろうことは想像に易いし、諦めて飛びかかってくる体に爪先を向ける。
傍に刀を置いていたというのに、咄嗟のことで頭に血が上り拳を振り上げてくるところに未熟さを感じる。
繰り出される拳を、二歩ほど後退して交わす。
鼻先を、ぶん…っと拳が通る。

「いけないよ。どんな状況でも冷静さをかいては……ね!」
「ぐおっ…!?」

通過していった腕を外側から掴み取り、手に持った状態でくるりと身を回す。
すると手にしていた相手の腕が背後へ捻れた。

「この…っ」
「動かないでくれ。折れてしまうよ」

ぎりぎりと骨と筋肉が軋む音を手に感じ、それをもう少し引いてやると前屈みになって痛がり始める。

「い、いててててっ!何すんだテメェこの野郎っ!!」
「君たちと争うつもりは無いんだ。…そこの君も、失礼したね」
「どの面して言ってんだ!!」

「oh…。騒々しいなァ」

日差しの差し込む障子の向こうからそんな声がして、僕を含め室内にいた人間はすぐにそちらへ顔を向けた。

「…!」
「ん? …わ」

倒れて身を起こしていた男はそのまま腰を据えて姿勢を整えると頭を垂れ、また僕が捉えている男も無理矢理僕の手を逃れようと身をひねる。
このまま頑なに捉えていては彼の骨が折れてしまうので僅かに力を緩めると、僕を突き飛ばしてやはりその場に座すると姿勢を正して頭を垂れた。
…へえ。
躾はできているんだな……などと思った直後、スパン…!と気持ちが良いくらい力任せに障子が開く。
まず視界に飛び込んできたのは片倉君だった。
相変わらず強面で立派だ。
一気に場に見えない圧力が生じた気になる。
僅かに眼を細め、室内で唯一立っている僕をぎろりと睨み付け、けれど何も言わずに横に引いた。
片倉君が空けた道から、いよいよこの城の筆頭君が登場する。

「よう。目ェ覚めたみてぇだな、竹中」

腕を組んで登場した政宗君が、軽く顎を上げて冷やかすように言った。
戦場で会う機会の多い僕らだから、甲兜の無い袴姿の彼には日頃見られない輝くばかりの若々しさに溢れていて、少し眩しい。
陽気に充ちている彼へ、少し開いた着物の襟を正しながら微笑んでみせた。

「お陰様でいい目覚めだよ」

 

 

 

 

先導する政宗君に連れられて、城門傍の櫓へ入り、階段を登った。
正確に言えば強制連行されているのだけれど。
僕の背後に張り付き、ぎらぎらといかにも敵意ある厳しい眼差しで片倉君が視線を刺してくる。
刀を突きつけられているわけでは無いが、これでは背中に切っ先が触れているのと同じことだ。
…とはいえ、政宗君第一の片倉君だから、政宗君のお許しがあるまでは何にせよ僕は無事のはず。
例え殺気を突きつけられようと、彼のことは今はあまり気にかけることはない。

「随分よくおねんねしてたもんだなァ。アンタにとっちゃ、ウチの方が居心地いいんじゃねえか?」
「寒さが肌に凍みるよ。寝付きがよくなかったものでね、その分休ませてもらったのさ」

この伊達政宗という青年は言動こそ派手だが、信長と違って理由無くすぐに人を斬るような男ではない。
それを知っているからこそ、言葉遊びもできるというものだ。
悠々と返事をしたが、僕の返しを政宗君は喉で笑うと、肩越しに僕を振り返った。

「それにしても、三日三晩は寝過ぎじゃねえのか?」
「…三日?」

口にされたその数字に、一瞬頭が真っ白になる。
三日…?
あの陣中で気を無くしてから、三日も経っているのか。まさか。
寝かされていた布団は汚れてはいなかったが、僕が三日間吐血しなかったということは考えにくい。
…知られた。
顔は穏やかに保ったまま、ぐっと袖の中で拳を握りしめる。

「…僕の兵は無事なんだってね」
「陣に突っ込んでみりゃ、何もしてねえのに将がそこに倒れてんだぜ? 気が抜けちまうどころじゃねえよ」
「君があの先鋒隊にいたのかい?」
「Off Course!」
「……呆れた」
「まー、アンタの体の事ァどうでもいい。だからって今後手加減してやる気はねえし、してやる程豊臣を舐め腐っちゃいねえ。一度切りのServiceってやつだ。感謝しな。…それにな、こっちはこっちで何も下心がねえワケじゃねえ」

片倉君が締め切っていた狭間を開けると、室内に一気に風が入って停滞していた室内の空気に流れを作る。
と同時に、登城道の向こうから見知った赤い旗が進んでくるのが見えた。

「あれは…」
「アンタがもう少し早く起きてくれりゃァ、話がややこしくならずに済んだんだがな。こんなに寝坊されるなんざ、こっちも思ってなかったからな」

腕を組み、政宗君が鼻で笑う。
やってくるのは間違いなく豊臣軍だった。
一際大きく派手な幟は秀吉がいる証拠だ。旗印を見ればどうやら三成君もいそうだ。
櫓に詰めていた数人の伊達の兵たちが、僕らの前でそれらに銃を構える。
こんなシナリオは無かった。
米沢まで足を伸ばす理由など、今まではなかった。
…僕のせいだ。
僕の軍が行方不明になり、僕が戻らなかったから…。

「しらばっくれてたら、連中マジで来やがった。大事にされてんな、アンタ」
「…」
「アンタが豊臣の重要なポストなのは知ってるが、正直ここまでとはな。巧く使う気になりゃ、餌としていくらでも使えるわけだが…」

苦虫を噛み潰したような顔をでいる僕を、政宗君の鋭利な左目が射貫く。
彼の視線に気づいて、僕も睨み返した。

「なら、その前に自害しないとね。…というか、そもそも君に僕が使えるのかな?」
「…オイ」

ドスの利いた声が響き、今まで黙っていた片倉君が強い眼力で僕を睨む。
今度はそちらを一瞥して薄く微笑してみせると、ますます彼の眉間には皺が寄った。
彼の方に意識が向いていた一瞬の隙を突いて、ぐっ…!と政宗君が僕の片腕を力任せにねじり上げた。
反動で、体が前屈する。

「っ…」
「使い方にも色々あるぜ?」
「――!」

言うが早く、政宗君が僕の首の後ろを舐め上げた。
ぞわ…っと悪寒が走り、すぐさま胃液がのぼってきそうになる。

「離っ…してくれ!!」
「おっと…」

かっと来て、腕一本折れるのも構わず無理矢理身を捩ると、政宗君を突き飛ばした。
思いの外簡単に突き飛ばせたのは、それまである程度冷静だった僕が"暴れる"ということが予想しにくかったのだと思う。
僕自身、予想してなかったわけだしね。
冷静な己と、感情のままの己が確かに互いを見てその存在を認識していて、今この瞬間は体の支配権は後者のようだ。
体からあふれ出る嫌悪感のまま、子供のように暴れ、爪先で床を蹴る。

「…っ」

駆けだした僕を、政宗君は追わなかった。
その代わりに片倉君と数名の兵が飛び出してくる。

「捕らえろ!」「退いてくれ!」
「え、わ、っ…う、わあああぁああ!?」

片倉君と僕の声が混ざり、音が狂う。
階段前にいた兵へ体当たりし、一緒に落下してもらう。
落下の途中で爪先で彼の体を踏みつけ、段の下に落ちる兵を尻目にそのまま前方の床に着地して駆け出す。
後ろから、怒声任せの片倉君の声がした。
まるで猟犬だ。
こういう姿を見ると、本当に彼をうちの軍に欲しくなるな。
詰めていた兵たちが政宗君の傍に控えていたお陰で、一度階段を降りてしまえば後は軽いものだった。
「乗人之不及 由不虞之道 攻其所不戒也」、だ。
一度どかんと場を賑わせてしまえば、即座に対応できる者は少ない。
流石に出入口には兵が二人いて咄嗟に持っていた長槍を僕へと向けたけれど、切っ先の震えを見逃すほど、経験が無い訳じゃない。
突きつけられた槍に臆することなく走り込みながら、顔や体より腕を前に出して逆手に柄を握る。
くっと角度を与えて上を向かせれば、槍に引っ張られるように兵が脇下を開いた。

「腰が引けている、よっ!」
「ぶっ…!?」

その兵のなっていない点である後ろ腰に、蹴りを一発叩き込む。
更にその蹴った場所を基点にして、ぐっと蹴り出すように外へと跳ね出た。
バタバタガシャガシャン!と兵と槍が倒れる音を背に聞きながら、一瞬開いた着物の合わせ目を片手で合わせながら着地してそのまま走り、足場を見つけて近くの城壁に駆け上がる。
カンッ…と爪先で踏んだ瓦は固かった。

「ッラア!!待ちやがれ竹中ァ!!」
「嫌だな。こんな状況で待つわけ――っ」

背後を振り返ろうとして、ずきりと心の臓の下が痛んだ。
僕の意思などお構いなしに体が傾く。

「ごほっ、ごほ…っ」

咳が体の自由と視力を制限する。
屈折する体に鞭打つものの、どうしても速度は落ちた。
咳をしながら肩越しに振り返れば、片倉君が刀に手を添えて律儀に追ってきている。
…まったく。
本当に使えない体だ。
敵勢の虜になるなんて醜態、一時でも長く晒したくない。
いっそ水になって消えられた方が幾倍もマシだ。
…ちらりと、視線を走っている城壁上から外側へ投げた。
なかなかの高さがある。
いざとなったら――…。
そう考えた僕の耳に、鬨の声が聞こえてきた。
その鬨の声に先行して、馬の蹄の爽快な音。砂煙。
…そうだね、あの距離に幟があるのなら、必ずこの門が見える場所に先見の者がいて、僕の姿があったことを伝えに行っただろう。
だからきっと、すぐに秀吉の先鋒隊が来るであろうと…。

「ちっ…!豊臣直々に来やがったか!」
「え…」

足を止めてくれた片倉君の言葉にどきりとして、僕も来ることが分かっていた豊臣軍へと目を凝らす。
一番疾風で疾走してくる影が三成君だということは分かる。
あまり馬に乗らない彼はああいう集団の中では目立つものだ。
傍を走る栗毛は左近君だと分かるが……では、その彼らにいくらか遅れて駆けてくるあの見覚えのある大馬に乗っているのは…?
…信じられない。
愕然とした思いで、どちらかといえば恐怖に似たような心持ちでその影を見詰めた。

「秀――」
「伊達政宗ェェエエエ――っ!!」

三成君の咆哮が城門に轟く。
…と同時に彼の姿が一瞬消えて代わりに閃光が見え、門を守っていた伊達の小隊が複数人倒れた。
ザ…っと両足と片手で土に触れて一閃を終えた三成君が、改めて刀の柄を勢いよく城門へ向け、今僕が出てきた櫓を見上げる。

「貴様ァアアアッ!!我が軍の軍師にして尊き秀吉様のご親友であらせられる半兵衛様を捕らえるとはッ!その愚行!万死に値するッ!!即刻開門し半兵衛様を解放!その上でその首潔く差し出せェエエエエッ!!」
「ウィーッス!どーもー、伊達さーん!半兵衛様いるってホントっスかー!? さっさと差し出しちゃった方がいいっスよぉーっ。…あ、あと三成様がこの通りめっちゃキレてまーす!敵将殺さず内側で囲っても、いいこと無いよー!?」

脳天気な声を出す左近君が、相変わらず三成君の殺気をふわりと軽くしている。
思わず苦笑してしまう。
彼らの背後に大将の取り巻きが近づいて来たのを確認し、足場は危ういけれど、城門から少し突きだしている屋根伝いの場所へそのまま走った。

「テメェ…!」

城門の前に立つ彼らの側面へ、ぐるりと回って近づくいていくと、瓦が一部破損して途切れていた。
…が、迷うことなくその向こうへ飛び出した。
そのまま、ガシャガシャと宙へ飛び出た縁へと向かう。
瓦へ飛び出した僕を追って、背後から片倉君が僕と同じように飛び出してきた。
肩越しにそれを一瞥し、それでも躊躇わず先端へ向かい、同時に体中から声を張り上げため、それこそ全力で息を吸い、その全てを声にした。

「秀吉――っ!!」

「…! 半兵衛様!!」
「む…」

三成君が僕の名を呼んでくれたのは分かったし、確かに秀吉と目が合った。
なれば、やはり次の僕の行動は択一だ。
ガン…!と屋根瓦の先端を強く踏みつけ、勢いよく宙へ飛び出す。
飛び出した直後は何てこともない浮遊感。
その後、まるで急に地の力を思い出したかのように、地表に吸い込まれるよう体が落下する。
今さっき飛び出した屋根瓦で、片倉君が眉間に皺を寄せて悔しそうな顔をしているのが堪らないくらい愉快だった。
投げ出した体は三重分を落ちる。
漸くばさばさと着物が踊る音を耳が捉え始めた次の瞬間には、もう僕は地表近くだった。

「っ…!」

落下地点へ僅かに移動した秀吉の腕の中に、危なっかしく落ちる。
普通の人ならば受ける側も巻き込まれて轢死かもしれないけれど、秀吉は見事な体格で受け止めてくれた。
固い甲冑に包まれた腕の中に落ちるにはあちこち打って痛かったけど、それでも命に関わるものではない。
収まった腕の中で、荒い息を整える。

「はあ、はあ…」
「…」
「は、は、半兵衛さ…っ…。ああぁ…っ、よくぞ…よくぞご無事で…!」
「…やあ」

秀吉の傍で自分も受け止めようとしていてくれたのか、妙な形に両腕を開いたままの三成君が、何とも言えない表情で指先と肩を震わせて僕を見ていた。
きっとものすごく心配してくれていたであろう彼に微笑する。
彼の後ろにも、豊臣軍の兵達が連なっていた。

「大丈夫。僕は無事だよ。助けに来てくれてありがとう。…さあ、一刻も早く領地へ戻ろう」
「は、半兵衛様…!? このような愚行をお許しになるというのですか!半兵衛様のお受けになった屈辱、それを晴らす任、私めにお与えください!伊達を殲滅する許可を…!」
「今はその時じゃないよ」
「しかし…!」

よっぽど心配してくれたらしい。
自らの胸に片手を添えて血気盛んに言う三成君を諭すも、納得ができない様子だ。
慕ってくれるその姿勢はとても可愛らしく感じるし、有難い。
片倉君は不服そうではあったけれど、政宗君は端から僕を戻してくれる気だったようだし、たった一度の情けにせよこの機に乗して伊達をどうこうしようとは流石に思わないし、秀吉や三成君がいるから一見本隊のようだけれど、今見たらこちらの兵数は少ない。
今は機ではない。
…とはいえ、このままじゃ三成君が収まらないだろうし、僕だってやられっぱなしは性に合わない。

「それじゃあ、僕の兵が捕らえられているから、彼らを解放しておいで。けれど、攻め入り過ぎてはいけないよ。僕の為を思うのならば、皆で早めに、最小限の負傷で戻ってくるんだ。いいかい、最小限だよ? できるね?」
「…!」

とにかく脱出できたのだ。
攻め入ることはない。
言ってあげると、三成君はその場に片膝をつくと頭を下げた。

「お任せください!半兵衛様の兵、一兵たりとも欠かさず揃えてご覧にいれます! …行くぞ!左近!!」
「へいよっと! …いや~、よかったすねえ、三成様っ」

言うなり立ち上がると、ばっと踵を返して左近君と率いて突撃して行った。
他の者もそれに続けば、僕と秀吉の周囲には数人の精鋭しか残らず、舞台は城内へ移ってくれた。
人気が減って、ほっとして秀吉を見上げる。
秀吉は無言で同じように僕を見下ろしていた。
視線を交わして少し間を置いてから、曖昧に微笑む。

「…大事無いか、半兵衛よ」
「ああ。…心配をかけたね。すまない、秀吉」
「問題無い。どのみち米沢は落とす手はずであった。よい口実よ」
「ふふ…。そうかい?」

それにしては随分早かった。
僕が陣を張っていたのは米沢よりずっと手前だったし、普通に進軍していたらこんなに早くは来られない。
三成君たちはいるけれど、兵数の配置や陣の動きを見ても、用意していた本陣の大軍で来たわけではないようだ。
となれば、陣に戻った以上僕もすぐに豊臣軍の軍師として参加しないといけない。

「…さて、それじゃあ降ろしてくれ。状況と手数を確認して、すぐに――っ」

小さく笑って言うと秀吉が僕を降ろしかけたが、素足の爪先が地に接した途端痛みが走って思わず声に出てしまった。
支えられたまま足下を見下ろすと指先が切れて一部爪が剥がれ、血が滲んでいた。

「どうした」
「いや…。大したことじゃな――!」

この程度の傷で表情を歪めてしまったことを情けなく思い、そのままもう片足を降ろそうとしたところ、ひょいと幼児を掬い上げるようにして再び体が浮いた。
虚を突かれている間に、再び横抱きにされてしまう。
まさか抱き直されるとは思っていなくて、少々呆けてから秀吉を見上げたけれど、彼は顎を上げ、傍にいた供に深く声を張った。

「腰掛けを用意し、手当の者を半兵衛に付けよ!」
「秀吉…大袈裟だ。僕なら心配ない。些細な切り傷だ」
「戦は既に始まった。お前の調略は最早不要だ。陣奥にて指揮を執れ」

言うが早く、慌ただしく用意を始める供の間を大股で陣へと戻る。
攻めている城に背を向け陣中へ戻る秀吉は、ちょっと珍しい。
抱え上げられたまま、特に頭上を見上げもせずぽつりと小声で告げる。

「…少し甘やかし過ぎだと思うけど。兵の前だ」
「構わぬ。気をなくした振りでもしておけ」
「僕が?戦場でかい? …面白い冗談だね。ならば、やってみようか」

毅然と言い放たれるとくすぐったい。
目を伏せ、少し気を散らした振りをして自分を包む両手の温度を感じながら、今は冷たい冑の胸へ頭を寄せる。
実のところ、心が消耗していたのは確かだ。
秀吉たちの顔を見てほっとしたついでに、どっと睡魔が襲ってくる。
うつらうつらとしてくるこれが、体の不調だとは思いたくない。
勿論こんな場所で眠りはしないけれど、目を伏せて少し意識を休めたい気もする。
安心感を得たくて、一度だけ秀吉の胸当てへ頬をすり寄せた。
さっき感じた嫌悪感、運動による動悸…それらが収まっていく。
ふと呼吸が楽になったのを感じた。
強張っていた体から力が抜け、またあの軽い、脆弱な、使えない、ふわふわとした溶けて消える雪のような僕の肉に戻る。
今消えられたら、存外僕は幸せなのだろう。
秀吉の掌に雫を遺せる。
けれどそれはできない。

「…」
「半兵衛よ」
「うん。何?」
「何ぞあったか」

含みのある秀吉の言葉に、首を振る。
仮に何か無体を受けたとしても、秀吉は自らの私情のみで戦場を暴走するような愚行はしないだろうけれど、このまま放置していては政宗君たちが完全に悪者になってしまいそうなので、一言添えておく。

「捕虜の扱いにしては、政宗君たちは紳士的だったよ。ねえ、秀吉。本来ならば今米沢は落とさなくてもいいはずだ。それに、彼らは武装はしてなかった。今は戦う気は無いみたいだ。…随分な粒揃いを連れてきたようだけれど、だからこそここで彼らを失うわけにはいかない。彼らが消耗しないうちに、引き上げを献策するよ」
「…そうか」
「そう」
「それで良いのか」
「悪かったら、君へは言わないよ。他の人には意地を張るけれどね。僕なら問題ないよ。こうして戻って来られたしね。…けど、前線に来すぎかな。政宗君じゃあるまいし、賛同しかねる。勿論君が負けることを心配しているわけじゃないけれど、驚いたよ」

伏せていた瞳を開き、秀吉を見上げた。
逆行の彼は、傍目には分からない程度に僅かに笑んでいたように思う。

「とはいえ、同時に君の顔を見たら安心したから、強くは言えないね。…足労をかけたね」
「お前が戻らば、それでよい。珍重よ」

僕しか気づけない程の些細な笑顔を嬉しく思う。
他者には手を伸ばされるだけで悪寒が走るようなこの胸に残る傷も、彼を前にすれば疼きもしないのだから。



用意された腰掛けに降ろされる。
彼を覇王と恐れている者達が見たら驚くくらい、とてもゆっくりと、優しく。

「…ありがとう、秀吉」
「うむ」

離れる手を名残惜しく感じ、最後まで彼の指に片手を添えてゆっくりと瞬きをした後、自然と口元が緩んだ。



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BASARAの秀吉と半兵衛。
半兵衛さんに激甘の秀吉さんがいいですね。
あともう三成さんが大好きや。
2017.3.8





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